駅のホームで、誰かが誰かを祝っている。
「おめでとう」
その一言が、なぜか胸に引っかかる夜がある。
素直に喜べばいいだけなのに、
なぜか、少しだけ苦い。
その正体を、ちゃんと見つめたことはあるだろうか。
その違和感の始まり
朝日新聞の人生相談欄に、こういう母親がいた。
30代の会社員女性。
小学5年生の息子がいる。
息子は控えめで、人が嫌がることはしない。
誰かが選ばれれば、笑顔で「おめでとう」と言える子だ。
少年野球でも、毎日コツコツ努力を続け、
今年はキャプテンにもなった。
性格がいいから、みんなから好かれる。
——ここまで聞けば、完璧だ。
だが母親は、満たされていない。
リレーの選手には選ばれない。
書道でも表彰されない。
「1番」になれない。
他の子が活躍したり、選ばれたり、賞を取った時、
息子は笑顔で「おめでとう」と声をかける。
その姿を見るたび、母親の胸には、
誇らしさよりも先に、歯がゆさと悔しさが湧く。
そして思ってしまう。
「なぜ、うちの子は1番になれないのか」
ここで、何かがズレている。
違和感の正体
結論から言う。
それは「評価のすり替え」だ。
息子を見ているようで、見ていない。
本当は、自分の価値観を見ている。
母親は「息子」を評価しているのではない。
「1番になるかどうか」という、外側の物差しで測っているだけだ。
もっと言えば、
その物差しは、息子のためではない。
自分のためだ。
違和感になぜ気づけないのか
理由は単純だ。
現代社会は「見える数字」に支配されている。
偏差値
年収
フォロワー数
打率
すべてがランキングで可視化される。
だから、こう思い込む。
「1番が正しい」
でもこれは、ただの思い込みだ。
本来、人間の価値はもっと曖昧で、
もっと測れないものだったはずだ。
それなのに、
「良かれと思って」
その子を数字に押し込めてしまう。
そしてもう一つ。
親は子供を「鏡」として見る。
そこに映るのは、子供ではなく、
自分の未完のコンプレックスだ。
違和感は少しずつズレていく
このまま進むと、どうなるか。
静かに崩れる。
息子は気づく。
「自分は評価されていない」と。
努力が足りないのではない。
能力が足りないのでもない。
「価値が認められていない」
その孤独だ。
しかも、それを与えているのが
一番認めてほしい存在である母親。
これは静かに効く。
音もなく、確実に。
やがて彼は選ぶ。
「優しさをやめる」か
「自分を諦める」か
どちらに転んでも、失われる。
もしかしたら彼は、
自分の美徳が、
いちばん認めてほしい母親に評価されていないことに、
うすうす気づき始めているのかもしれない。
違和感とどう向き合うか
一度、立ち止まるしかない。
その子は本当に「足りない」のか。
冷静に見てほしい。
息子はすでに、かなりすごい場所にいる。
少年野球でキャプテンを務める。
努力を厭わない。
そして何より、
他人の成功を笑顔で祝える。
これ、大人の世界ではほぼ絶滅危惧種だ。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を思い出す。
「サウイフモノニ私ハナリタイ」
あれは理想ではない。
この子は、すでにそこにいる。
それなのに、
「1番じゃないからダメ」と言うのは、
ダイヤモンドを石ころ扱いしているのと同じだ。
子どもの成長を阻む親の心理|まとめ
子どもの成長を阻む親の特徴。
それは、
子どもの欠点を見ているようで、
実は自分の不安を見ている親だ。
1番になれないことを嘆く前に、
その子がすでに持っている人間性を見失っていないか。
そこを疑ったほうがいい。
誰からも愛される「脇役」の天才。
場をつなぎ、人を安心させ、他人を祝福できる才能。
それを心から誇れるかどうかで、
親の器もわりと決まる。
1番になれないのではない。
1番を求めすぎて、価値を見失っているだけだ。
問題は子供ではない。
——さて。
あなたは、自分の大切な人が
「誰からも愛される脇役の天才」だった時、
心から拍手できるだろうか。
それとも、まだ
表彰台の真ん中に立たせたくなるだろうか。




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