夜。
リビングに、怒鳴り声が響く。
「いい加減にしなさい!!」
子どもが黙る。
空気が固まる。
テレビの音だけが、妙に軽い。
その横で、何も言えずに立っている。
言えば火に油。
黙れば後味が悪い。
そして、頭の中でこう整理してしまう。
「やっぱり育児が下手なんじゃないか」
でも同時に、どこか引っかかる。
この違和感。
本当にそれで説明がつくのか。
その違和感の始まり
問題の形はシンプルに見える。
・妻が感情的に怒鳴る
・子どもの言い分を聞かない
・こちらの話も聞かない
だから「下手だ」と結論づける。
でも、その結論に至るまでに、ひとつの前提が紛れ込んでいる。
「本来はうまくできるはずだ」
この前提。
これがすでに、かなり怪しい。
そもそも考えてみてほしい。
子育ては何をしているのか。
・人格を形成する
・価値観を与える
・感情の扱い方を教える
つまり、人間ひとりの設計図を扱っている。
それを、誰も教えてくれない状態で、
いきなり本番でやらされる。
それなのに、なぜかこう言われる。
「母親なんだからできて当たり前」
この時点で、もう歪んでいる。
違和感の正体
結論を言う。
それは「無根拠な期待」だ。
もっとはっきり言うと。
「おかあさんだからできる」という思い込み。
これがすべてのスタート。
でも現実はどうか。
保育士という職業がある。
専門学校に行く。
知識を学ぶ。
資格を取る。
そこまでしてようやく「子どもと向き合う仕事」が成立する。
それでも。
実際の現場ではこうなる。
「もうやめてぇ〜!!」
「なにやってんの!!」
「走っちゃダメって言ってるでしょ!!」
プロでも感情は揺れる。
制御しきれない瞬間はある。
じゃあ。
何の勉強もしていない人が、
子どもを産んだ瞬間に、
完璧にできる理由はどこにあるのか。
ない。
これは能力の問題ではない。
構造的に無理がある。
違和感になぜ気づけないのか
理由は歴史にある。
昔は違った。
大家族。
近所付き合い。
地域の目。
いろんな人間が関わる中で、
子どもは自然と育っていった。
多少雑でも、なんとかなる。
いわば「ごった煮」。
鍋の中で混ざりながら、
それなりに形になる。
でも今は違う。
核家族。
孤立。
個人主義。
親のスキルが、そのまま結果に直結する。
逃げ場がない。
それなのに、認識は昔のまま。
「自然にできるはず」
ここにズレが生まれる。
さらにもうひとつ。
母親自身の内側。
「おかあさんなんだから」
この言葉を信じていると、こうなる。
・自分のやり方が正しい
・否定されると人格否定に感じる
・外の意見を拒絶する
これは責められる話じゃない。
むしろ自然な防衛反応だ。
でも結果として、コミュニケーションは詰まる。
違和感は少しずつズレていく
ここからが一番厄介。
人はこう考える。
「もっとちゃんとやらなきゃ」
「もっと正しく育てなきゃ」
「もっと言うことを聞かせなきゃ」
結果どうなるか。
・強く言う
・押し付ける
・余裕がなくなる
そして家庭の中で起きること。
・会話が減る
・言い分を聞かなくなる
・感情がぶつかる
やがてこうなる。
「なんかしんどい」
でも原因は分からない。
違和感だけが残る。
積み重なる。
気づいたときには。
関係が崩れている。
違和感とどう向き合うか
ここでやるべきことはひとつ。
前提を疑うこと。
「できて当たり前」
これを一度捨てる。
代わりにこう置き換える。
「これは学習が必要な領域だ」
子育ては感覚じゃない。
知識。
理解。
試行錯誤。
そして時間。
児童心理学。
脳科学。
認知科学。
こういう知見は、すでにある。
使わない理由はない。
そしてもうひとつ。
「うまくできている人もいる」
でも、それは全員に当てはまるわけじゃない。
あれは一部。
例外。
そこを基準にすると、全員が苦しくなる。
妻の育児が下手と感じる違和感の正体|まとめ
問題は「下手かどうか」じゃない。
「できる前提で見ていること」だ。
できない前提なら、見え方は変わる。
評価も変わる。
関わり方も変わる。
人は期待で壊れる。
でも同時に。
理解でも変わる。
この違和感。
たぶん、個人の話じゃない。
かなり広い範囲で、同じ構造が起きてる。


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