夜、なんとなく動画を流しながら、
昔観た映画のラストを思い出す。
「あぁ、いい終わり方だったな」
そうやって、自分の中で物語を“完結”させる。
気持ちいい。
スッキリする。
でも、そのスッキリの裏に、
妙な空白が残ることがある。
「本当に、それで終わりでいいのか?」
この感覚。
これが違和感の正体に繋がっていく。
その違和感の始まり
『魔女の宅急便』のラスト。
空を飛び、
トンボと再会し、
笑顔で終わる。
「あぁ、これでキキも立派な魔女になった」
多くの人が、ここで納得する。
でも実は、あの物語は終わっていない。
原作者・角野栄子の物語は全6巻。
キキが35歳になるまで続く。
1982年に『母の友』で連載が始まり、
1985年に単行本化。
そして2009年に、ようやく完結する。
つまり、あの映画は“序章”。
今回描かれているのは、
20歳のキキと21歳のトンボ。
ここからが、本当の物語。
そしてここから、急に現実の温度になる。
違和感の正体
それは「現実を見ないまま納得すること」だ。
ジブリ版のキキは爽やかだ。
でも原作のキキは違う。
弱い。
執着する。
揺れる。
そして直面するのが、
遠距離恋愛。
トンボは17歳から21歳まで、
技術学校へ通うため町を離れる。
4年間。
長い。
最初の夏休み。
キキは待つ。
やっと会える。
そう思った瞬間、
「昆虫の野外学習があるから帰れない」
…出た。
現代なら確実に
「そんな男やめとけ」案件。
でもトンボは悪気がない。
彼は昔からそうだ。
飛行クラブに夢中だった少年。
一度興味を持つと、周りが見えなくなる。
変わっていない。
問題はそこじゃない。
その間、キキがどうなるか。
孤独。
嫉妬。
焦り。
魔法が使えても、
好きな人の心は動かせない。
この無力感。
ここに、人間関係の核心がある。
違和感になぜ気づけないのか
人は「綺麗な物語」で満足する。
成長した。
恋が実った。
それでいいじゃないか、と。
でも、その裏にある感情は見えなくなる。
待つ時間。
報われない瞬間。
すれ違い。
こういう部分は、
見ようとしない限り見えない。
だから違和感が残る。
そして、その違和感の理由が分からないまま、
「いい話だった」で終わる。
違和感は少しずつズレていく
そして年月が流れる。
2009年。
物語は一つの到達点にたどり着く。
21歳のトンボが帰ってくる。
彼は中学校の生物教師になる。
再会。
キキは期待する。
寂しさを癒してもらえると。
でも現実は変わらない。
目の前のトンボは、
相変わらず昆虫の話ばかり。
キキの頬に涙が流れる。
ここが好きだ。
あまりにも人間だから。
キキは無言でほうきに跨り、飛び去る。
眠れない夜。
自己嫌悪。
そして翌朝。
霧の中に立っている彼。
ようやく、二人は本音をぶつける。
キキは靴も履かずに飛びつく。
声にならない叫び。
トンボの返事。
これが、本当の意味での「成人」。
違和感とどう向き合うか
角野栄子の描く女性は、
強いだけじゃない。
愛に揺らぐ。
自立していても、依存する。
それを隠さない。
だからリアル。
だから刺さる。
『葬送のフリーレン』が
失われた感情を辿る物語なら、
『鋼の錬金術師』は
欠けたものを補う物語。
キキも同じ。
完璧じゃないから、
人と繋がる。
違和感は、
そのズレを教えてくれるサイン。
無視しなければ、
ちゃんと意味を持つ。
キキのその後に潜む人間関係の違和感の正体|まとめ
物語は、終わったところで終わらない。
その先に、本質がある。
キキもそう。
20歳の彼女は、
まだ揺れている。
それでも進む。
そして二人は、
22歳と23歳で結婚する。
もし少しでも引っかかったなら、
図書館へ行けばいい。
そこには、
映画よりずっと泥臭くて、
ずっと美しい人生がある。
…たぶん、そっちの方が
現実に近い。




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