女友達との関係は、意外としぶとい。
恋人ができても、仕事が変わっても、住む場所が離れても、なんだかんだ続く。
久しぶりに会えば、最初の5分だけ近況報告。
その後はもう、昔のテンションに戻る。
誰が誰を好きだったとか。
あの先生の口癖がどうだったとか。
最近観た映画がいまいちだったとか。
買うか迷っているコスメが地味に高いとか。
転職したいけど履歴書を書くのが面倒だとか。
話題なんて何でもいい。
大事なのは、話題そのものではなく、
「この人と話している」
という感覚だった。
だから私は、よく聞くあの言葉を少し疑っていた。
「女友達はライフステージが変わると疎遠になる」
いやいや。
それは、もともと浅かった関係の話ではないのか。
本当に仲がよければ、結婚しても、子どもが生まれても、また笑って話せるはず。
そう思っていた。
でも今は、その自信を少し失っている。
友情が薄かったからではない。
相手を大切に思っていなかったからでもない。
ただ、こちらの想像力が、相手の生活にまったく追いついていなかった。
それだけの話だった。
それだけの話なのに、けっこう痛い。
その違和感の始まり
25歳を過ぎた頃、周りで結婚する友人が増えた。
いわゆる第一次結婚ラッシュ。
高校の友人。
大学の友人。
会社の同期。
それぞれのグループから、既婚者第一号が現れる。
私たちは素直に喜んだ。
プロポーズの話を聞き、両家顔合わせの裏話を聞き、指輪選びの段取りを聞いた。
「求婚のときはダミーリングでもいいんだ」
「両家顔合わせって、事前に親へNG話題を共有する必要があるのか」
もはや友人の結婚報告というより、人生の先行事例研究会である。
そこに妬みはなかった。
少なくとも私は、そう思っていた。
友人の幸せを近くで見られるのが、ただ嬉しかった。
やがてSNSには、新婚生活の手料理写真が流れてくるようになった。
「生姜たっぷりホタルイカの炊き込みご飯」
「春キャベツの鶏つくね」
強い。
あまりにも強い。
こちらは夜中に冷凍うどんをレンジで温めている。
同じ人類とは思えない。
その頃、ふと思い出した雑誌の特集があった。
国会図書館で卒論資料を探していた時に見た、働く女性のインタビュー企画。
そこでは女性が3つに分けられていた。
「女」
「妻」
「母」
独身女性は「女」。
既婚子なしは「妻」。
既婚子ありは「母」。
その分類に、私は妙な寒気を覚えた。
同じ働く女性なのに、結婚や出産によって呼ばれ方が変わる。
生活も、悩みも、時間の使い方も変わる。
それは分かる。
でも、なぜ女性だけこんなに役割名で切り分けられるのか。
男性向けに、
「男」
「夫」
「父」
と分けて語る特集を探しても、ぱっとは見つからなかった。
その時は、ただ社会への違和感として残った。
けれど後になって分かった。
あの分類は、腹立たしいほど乱暴でありながら、ある現実を突いていた。
人は同じ名前のまま、まったく違う時間割を生きるようになる。
友人は友人のまま。
でも、彼女の一日はもう、私の一日とは別の法則で動いていた。
違和感の正体
その友人は、20代半ばで母になった。
それから、私たち全員で集まることが少しずつ難しくなった。
最初は深刻に考えていなかった。
10年以上の付き合いだ。
会えない時期があっても、そのうちまた会える。
それくらいに思っていた。
むしろ心配していたのは、彼女の生活だった。
ほぼワンオペで育児をしているらしい。
夫は仕事優先。
親も近くにいるとはいえ、いつでも頼れるわけではない。
私たちは、
「大変そう」
とは言った。
でもたぶん、その“大変”の中身を何も知らなかった。
コロナ禍のGo To トラベルの時期に、ホテルでお泊まり女子会をしたことがある。
私たちはラウンジで食べて、飲んで、しゃべっていた。
彼女はその間、子どもの面倒を見ていたらしい。
夜になって合流し、徹夜で話し、早朝5時の始発で帰っていった。
その背中を見ながら、私はぼんやり思った。
「育児って、親が近くにいても大変なんだな」
今思えば、ずいぶん軽い感想だった。
大変。
便利な言葉だ。
でも何も分かっていなくても使えてしまう。
その後、今度は子連れで会おうという話になった。
私は店探しが好きなので、張り切った。
子連れで行けるカフェ。
昼から予約できる店。
広めの席。
ベビーカーでも入りやすそうな場所。
検索してみた。
見つからない。
いや、正確には見つかるのだが、こちらが思う「ちょうどいい」が全然出てこない。
その時、初めて気づいた。
私は、幼児を連れて外出する人の条件を知らない。
段差。
ベビーカー。
昼寝。
食事。
トイレ。
騒いだ時の逃げ場。
子ども用の椅子。
親が食べられる余裕。
店選びひとつで、世界が違う。
普段の私は、
「駅から近くて雰囲気よければいい」
くらいの感覚で店を選んでいた。
軽い。
綿あめくらい軽い。
結局、上野公園で会うことになった。
子どもと走り回れるように、私は運動靴で行った。
気合いだけはあった。
ただ、気合いは育児知識の代わりにはならない。
現地に着くと、子どもは食後で眠そうだった。
私は自己紹介がてら話しかけた。
しかし怖がられた。
知らない大人が急に近づいてくる。
しかも厚化粧。
今考えれば、子ども側の判断はかなり正しい。
私が逆の立場でも警戒する。
妖怪か、親の知人か、判別が難しい。
子どもとの交流は諦め、私はベビーカーを押す友人の横を歩いた。
春の午後。
上野公園の空は広く、日差しはあたたかかった。
そのうち友人が言った。
「もう少しで寝てくれそうだから、ちょっと遊ばせて昼寝させてくる」
私たちは木陰のベンチで待った。
しばらくして様子を見に行くと、大きな木の根元にある丸い腰掛けに、彼女が座っていた。

小さな娘を抱きしめ、目を閉じている。
子どもの背中は、眠りに沈む直前の呼吸で上下していた。
その背中を、彼女の手がとん、とん、とん、と叩いている。
その瞬間、公園の音が遠ざかった。
目の前の親子だけが、切り取られた絵のように見えた。
授業中に居眠りしていた女子高生。
くだらない話で笑い転げていた友人。
その人が、今は誰かの眠りを守る人になっていた。
私は近づけなかった。
邪魔してはいけないと思った。
そして同時に、自分がまったく違う場所に立っていることを思い知った。
その後、彼女から連絡が来た。
「こんな遠くの公園なんかに来させてごめん、でも会えてよかった」
それ以降、しばらく返信は途絶えた。
電話にも出なかった。
私は、上野公園に取り残されたような気持ちになった。
何が起きたのか、すぐには分からなかった。
でも、何かを間違えたことだけは分かった。
違和感になぜ気づけないのか
後からLINEを見返すと、胸が痛くなった。
予定が合わなくなった時、彼女はこう言っていた。
「子育て終わるまでは我慢するから、みんなで遊んできて」
「産む時点で、友達と会えなくなることは覚悟してたし仕方ない」
この言葉を、その時の私は重く受け止めきれていなかった。
「そんなことないよ」
「また会おうよ」
きっとそんな返しをした。
でも彼女が本当に言っていたのは、
「私はもう、前みたいには動けない」
だったのかもしれない。
場所もそうだった。
自由に動ける私たちが、彼女の最寄り駅まで行けばよかった。
そこには彼女が慣れている公園やモールがあったはずだ。
時間もそうだ。
私たちは朝が苦手だから、昼か午後にしようと言った。
でも小さな子どもには昼寝のリズムがある。
午前中に遊び、昼に寝て、夜に響かないようにする。
そのリズムを守るのは親の仕事だ。
私たちは、自分たちの起床難易度を優先した。
「朝早いの無理〜」
などと言いながら。
大人3人の寝坊と、幼児1人の生活リズム。
どちらを優先するべきか。
今なら分かる。
当時の私は分かっていなかった。
育児中の友人が自由に外出できるかどうかは、本人の気合いだけでは決まらない。
母子の健康状態がある。
子どもは感染症にかかりやすい。
母親の体も、産後すぐ元通りになるわけではない。
産褥期を過ぎても、ホルモンバランスや睡眠不足でしんどい人は多い。
産後うつも珍しくない。
預け先の問題もある。
夫がいるから大丈夫、とは限らない。
普段から育児に関わっていなければ、赤ちゃんの世話は急にできない。
「泣き止まないんだけど助けて」
と外出先の妻を呼び戻す話もある。
実家や義実家が近くても、そこにも条件がある。
親の体力。
仕事。
介護。
関係性。
孫を見られる余裕。
親族に頼れなければ、ベビーシッターや産後ドゥーラ、ファミリーサポート、産後ケア施設という選択肢もある。
産後ドゥーラは、家事代行や育児補助、母親のメンタルケアまで支える存在だ。
ギリシャ語で「他の女性を支える経験豊かな女性」という意味を持つらしい。
制度や助成が使える場合もある。
ただ、それを知っていることと、実際に使えることは別だ。
お金。
手続き。
地域差。
本人の考え方。
子どもとの相性。
いくつもの条件が絡む。
さらに、母親本人の価値観もある。
頼れるものは頼って外に出たい人もいる。
一方で、
「赤ちゃんのうちに預けるのはかわいそう」
「外に出ても心配で落ち着かない」
と感じる人もいる。
どちらが正しいという話ではない。
文化の違いに近い。
つまり、育児中の友人と会うというのは、こちらが想像していたよりずっと複雑だった。
私は、
「夫に見てもらえばいい」
「親に預ければいい」
「子連れで来ればいい」
くらいに思っていた。
雑だった。
かなり雑だった。
友情の顔をした無知だった。
違和感は少しずつズレていく
母になった友人と疎遠になる時、そこには派手な喧嘩があるとは限らない。
むしろ、何も起きない。
返信が遅くなる。
予定が決まらない。
誘いにくくなる。
会っても前ほど話せない。
なんとなく距離ができる。
そのうち、こちらが思う。
「あの子、変わったな」
でも、本当に変わったのは友人だけなのか。
彼女の生活には、新しい重力ができていた。
子どもの睡眠。
食事。
体調。
機嫌。
荷物。
夫との分担。
家の中の段取り。
預け先。
明日の予定。
その重力の中で、彼女は動いていた。
私たちは、まだ軽かった。
自分の予定と気分で動けた。
行きたい店に行き、起きたい時間に起き、疲れたら帰る。
この差は、友情の濃さだけでは埋められない。
人生には、いい時と苦しい時がある。
どの立場にも、それぞれのしんどさがある。
独身には独身の孤独がある。
既婚には既婚の息苦しさがある。
母には母の限界がある。
でも、その苦しみは互いに交換できない。
女友達がライフステージで疎遠になる理由は、幸せが違うからではない。
苦しみを共有できなくなるからだ。
これが一番しっくりくる。
友人の幸せは喜べる。
子どもが生まれたことも嬉しい。
でも、夜泣きで眠れない体の重さは分からない。
昼寝のタイミングを逃した時の絶望も分からない。
数ヶ月ぶりの美容院がどれほど貴重かも分からない。
近所のスタバの写真に「久しぶりの一人時間」と添える気持ちも、知識としては理解できても、体感としては分からない。
分からないものを、分かった顔で扱う。
ここでズレる。
そしてそのズレは、相手を少しずつ傷つける。
違和感とどう向き合うか
では、どうすればよかったのか。
今でも正解は分からない。
上野公園の日、彼女は本当はどうしてほしかったのか。
もっと近くに来てほしかったのか。
そっとしておいてほしかったのか。
最寄りまで来てほしかったのか。
午前中に合わせてほしかったのか。
そもそも会うこと自体がしんどかったのか。
分からない。
ただ一つ言えるのは、こちら側のテンポで誘いすぎたということだ。
「今年中に会えたら嬉しい」
「みんなで集まろうよ」
その言葉に悪気はない。
でも、悪気がないことと、負担がないことは別だ。
相手の生活が大きく変わった時、以前と同じ誘い方が通じるとは限らない。
こちらができたことは、もっと具体的に相手へ寄せることだった。
最寄り駅まで行く。
午前中でも合わせる。
短時間で解散する。
子どものリズムを優先する。
店ではなく公園やモールにする。
子どもに無理に話しかけない。
友人が途中で帰っても気まずくしない。
返信がなくても追い詰めない。
「何でも言ってね」
これは優しい言葉だ。
でも、言う側が本当に何でも受け止める準備をしていなければ、相手には負担になる。
相手に説明させる優しさは、ときどき重い。
「どうしてほしい?」
と聞く前に、こちらが想像できることもある。
もちろん完全には分からない。
分からないからこそ、慎重になる。
これが大人の友情なのかもしれない。
腫れもの扱いは違う。
でも、昔のノリで突っ込むのも違う。
相手の望む距離を、相手が言葉にする前に少し想像する。
対岸から見守る。
呼ばれたら渡る。
呼ばれなければ、橋だけ残しておく。
そんな友情の形もあるのだと思う。
ここで少し現実的な話をする。
友達との距離感が変わると、心は地味に傷つく。
喧嘩したわけではない。
嫌いになったわけでもない。
でも前と同じように話せない。
こういう人間関係の違和感は、身近な人には話しづらい。
共通の友人に話せば、愚痴になるかもしれない。
本人に言えば、責めているように聞こえるかもしれない。
だから、一度まったく関係のない第三者に話してみるのもありだ。
答えをもらうためではなく、自分が何に寂しさを感じているのか整理するために。
私は友人を責めたいのか。
自分の無神経さが恥ずかしいのか。
もう一度つながりたいのか。
少し距離を置きたいのか。
そういう本音は、誰かに話して初めて見えることがある。
人間関係のモヤモヤは、放置すると自己嫌悪か相手への不満に変わりやすい。
だから早めに言葉にしておく。
それは友情を壊さないための、ささやかなメンテナンスだと思う。
「母になった友人との距離感|女友達がすれ違う心理の正体」|まとめ

女友達は、ライフステージが変わると疎遠になる。
昔の私は、その言葉を少しバカにしていた。
本当に仲がいいなら大丈夫。
そう思っていた。
でも今は、少し違う。
疎遠になるのは、友情が薄いからとは限らない。
相手の暮らしの重さを、こちらが想像できなくなるから。
相手の苦しみを、前と同じ言葉では共有できなくなるから。
母になった友人は、私の知らない時間割を生きていた。
私はそのことを知らずに、昔のままのテンションで会おうとしていた。
上野公園の大樹の下で、小さな背中をとん、とん、とん、と抱いていた彼女。
あの光景は、今も私の中に残っている。
友情とは、近づくことだけではない。
ときには待つこと。
対岸から見守ること。
相手が戻ってこられる余白を残すこと。
自分の過去の振る舞いを恥じながらも、私はもう一つの定説を信じている。
「女友達は人生のどこかでまた合流する」
今は別々の道を歩いていても。
今は会話のテンポが合わなくても。
いつかまた、同じ川辺に戻ってくるかもしれない。
その時、昔と同じように話せなくてもいい。
閉店までしゃべり倒せなくてもいい。
ただ、
「久しぶり」
と笑える余白だけは、残しておきたい。
それが今の私にできる、せめてもの友情なのだと思う。



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