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仕事は教えてもらうもの?「見て盗め」が嫌われる本当の理由

心理・思考

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「技術は見て盗めって、なんでですか?」

寿司職人の世界で新弟子にこう聞かれたら、どう答えるだろう。

「普通に教えてくれた方が効率良いですよね? 教える技術がないから、そうやって言ってるんじゃないですか?」

言いたいことは分かる。

「見て盗め」

この言葉だけ切り取れば、かなり昭和である。

背中を見ろ。
技を盗め。
俺の若い頃は──。

このへんまで揃うと、脳内に腕組みした頑固親父が自動生成される。

ただ、ここで引っかかる。

本当に「何も教えない」という話なのだろうか。

寿司店の作業場で「技術は見て盗め」を巡り、寿司職人と新弟子が仕事の教え方について議論する漫画

「教えてくれない」と言う新弟子に寿司職人は何と返すのか

新弟子は言う。

「技術は見て盗めってなんでですか? 普通に教えてくれた方が効率良いですよね? 教える技術がないから、そうやって言ってるんじゃないですか?」

それに対して、職人はこう返す。

「学校だと勘違いしてるのか。最初に覚えとけ。これは仕事だ。俺は店に利益を上げるために仕事をしてる。教える時間は店の損害になる」

新弟子も引かない。

「ぼくが覚えたら店の利益を生むじゃないですか」

たしかに。

理屈だけ聞けば筋は通っている。

ところが職人は、そこに一つ条件をつける。

「お前がものになるかどうかは『やる気』次第だ。仕事を覚えようとしないやつに教えることはひとつもない。お前自身、何が分からないのか、それが分かってないうちに教えることはない」

新弟子はさらに返す。

「それを教えるのが先輩の仕事でしょう」

そして職人。

「違う。俺は寿司を握るために雇われてる。先生として誰かを一人前にするために雇われてるんじゃない。勘違いするな。お前も給料もらってるんだから『自分の食い扶持くらい稼ぐ』ために仕事を覚えろよ。能書き垂れても握れるようにはならねえぞ」

かなり厳しい。

ただ、この会話の面白いところは「教える・教えない」の話をしているようで、実は双方が別のものを見ていることだ。

新弟子は「効率よく習得する方法」の話をしている。

職人は「仕事を覚える責任は誰にあるのか」の話をしている。

会話のキャッチボールをしているつもりが、片方は野球、もう片方はドッジボールである。

「見て盗め」は本当に何も教えないという意味なのか

ここはかなり誤解されやすい。

実際には、だいたい先輩は教えている。

寿司なら、

酢飯をどう作るか。

どのくらい手に取るか。

どう優しく固めるか。

ワサビをどうのせるか。

ネタをどう合わせるか。

基礎になる手順は言葉で説明できるし、そこは普通に教えられる。

問題は、その説明を聞いたあとだ。

「このぐらい手に取って、優しく固めて、ワサビをのせて、ネタをのせる」

聞けば分かる。

ところが、やってみるとできない。

いや、そこを教えてくれ。

そう思う気持ちも分かる。

しかし先輩の手と同じように動かない原因まで、全部「説明不足」で片づけるのは少し違う。

教えている内容を理解できない、あるいは理解しても再現できない。

そこで「教えてくれない」に変換してしまうと、話がおかしくなる。

教わっただけで大谷翔平のように打てるなら誰も苦労しない

野球で考えると分かりやすい。

バットの握り方を教えてもらう。

構え方を教えてもらう。

スイングの基本を教えてもらう。

投球フォームだって教えてもらえる。

では、それを大谷翔平氏から教わったら、大谷翔平氏のようにホームランを打てるのか。

打てない。

剛速球の投げ方を教わったら、同じ球を投げられるのか。

これも無理だ。

教え方が悪いからではない。

技術には「知っている」と「できる」の間に、かなり深い谷がある。

説明を聞いただけで埋まる谷なら、プロスポーツ選手も寿司職人もピアニストも、だいたいYouTube数本で完成してしまう。

そんな便利な世界ではない。

教えられて学べるのは、まず基礎だ。

その基礎を自分の身体で再現し、失敗して、観察して、修正して、また試す。

そこから先は修練になる。

できない理由を全部「教え方」にすると自分の技術が止まる

ここで「見て盗め」という言葉の意味が少し変わってくる。

何も説明しないことではない。

先輩の仕事を見る。

自分との違いを見る。

なぜ自分は同じようにできないのか考える。

試す。

失敗する。

また見る。

質問するなら、自分がどこまで分かっていて、どこから分からないのかを整理して聞く。

この一連の行動が「盗む」の中身なのだと思う。

できないのは、自分の技術がまだ足りない。

できないのは、自分の修練がまだ足りない。

そこを全部、

「教えてくれないから」

にしてしまえば楽ではある。

原因が自分の外に出ていくからだ。

ただ、それをやった瞬間、自分で改善できる範囲まで一緒に外へ放り投げてしまう。

技術は宅配便ではない。

待っていれば完成品が玄関に届くものではない。

誰にも教わらなくても人は勝手に研究している

極論を言えば、セックスの仕方やオナニーの仕方を、同性の先輩からマンツーマン研修で習った人がどれだけいるだろう。

「本日は実技研修です」

たぶん嫌である。

そんな研修はコンプライアンス以前に逃げたい。

でも、多くの人は何らかの形で知っていく。

自分で知ろうとする。

調べる。

人の話を聞く。

試行錯誤する。

つまり、人間は本当に知りたいことについては、意外と勝手に学ぶ。

誰かが教壇に立ってくれるまで、椅子に座って待ってはいない。

仕事でも本来、この部分は同じだ。

「教えてくれないこと」は世の中にいくらでもある。

だから自分から観察し、調べ、質問し、試して身につける。

それが「技術を盗む」という言葉の、少なくとも一つの中身なのだと思う。

会社が教えるのは「損害を出さないため」の基礎までなのか

仕事には、会社側が教えなければならないこともある。

業務のルール。

必要な手順。

安全に関わること。

ミスすれば会社や顧客に損害が出ること。

「見て盗め」の一言で全部放置していいわけではない。

ここは職人論とは分けて考えた方がいい。

新人教育まで完全に個人任せにすれば、同じ失敗を何人も繰り返すことになる。

それでは会社側も困る。

だから基礎は教える。

ただし、その先まで全部「教えてもらえるもの」と考えると、今度は働く側がおかしくなる。

会社が教えるのは、少なくとも仕事として成立させるために必要な部分。

その先で、

どうすれば速くできるか。

どうすれば質を上げられるか。

どうすれば売上や利益につながるか。

どこを改善できるか。

そこまで自分で考え始めたとき、仕事は「教わった作業」から「自分の技術」に変わっていく。

「先輩は教えるべき」と「自分で学ぶべき」は両立する

ここをどちらか一方にすると極端になる。

「仕事なんだから全部自分で盗め。質問するな」

これはただの放置になり得る。

逆に、

「分からないのは全部先輩の教え方が悪い」

これも無理がある。

先輩には、仕事を成立させるために必要な基礎やルールを伝える役割がある。

後輩には、それを材料に自分から仕事を覚える役割がある。

この二つは対立しない。

むしろ両方必要だ。

職場でよくあるのが、

「そんなことも分からないの?」

と、

「教えてもらってないので分かりません」

の永久機関である。

どちらも相手に100%責任を渡した瞬間、だいたい会話が止まる。

給料をもらいながら身につける技術には自分から取りに行く価値がある

寿司職人の技術なら、それを身につければ一生食べていける可能性がある。

そんな技術を、

「給料をもらっている間に、誰かが最初から最後まで全部教えてくれる」

と考えるのは、さすがに都合がよすぎる。

会社からすれば給料を払い、そのうえ先輩の時間まで使っている。

新人側から見れば、働きながら技術を身につけられる。

どちらか一方だけが得をする話ではない。

だからこそ、基礎を教わった先では自分から取りに行く。

観察する。

調べる。

やってみる。

分からなければ、「分かりません」だけではなく「ここまでは分かったけれど、ここから再現できない」と聞いてみる。

今日から一つだけやるなら、これでいい。

次に先輩へ質問する前に、「自分は何が分かっていないのか」を一度だけ言葉にする。

質問の解像度が上がると、教える側も答えやすくなる。

「見て盗め」が古いのではなく、丸投げすると古くなる

「見て盗め」という言葉そのものをありがたがる必要はない。

教えられる基礎まで隠して、何年も雑用だけさせるなら、効率が悪いという批判はその通りだ。

一方で、

教わった基礎から先を自分で観察し、試し、工夫することまで古いわけではない。

むしろ仕事で金をもらう以上、そこからが自分の仕事になる。

会社に損害を出さないための基礎は教わる。

会社に利益を生むための工夫は、自分でも考える。

そして、その工夫が技術になり、技術が価値になれば、給与が上がる理由にもなる。

結局、「見て盗め」で本当に盗むべきなのは秘密の握り方ではない。

誰かに言われなくても、自分で上手くなろうとする姿勢なのだ。

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