PR

『みなさんの爆弾』(朝比奈あすか・著)レビュー|境界の外側で火花を散らす、6つの“偏愛”と回復の物語

小説・文学

当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

朝比奈あすかさんの短編集『みなさんの爆弾』は、読み口の軽やかさと“後味の鋭さ”が同居する一冊でした。読み始めてすぐ、「初恋」の眩しさと痛みに引き込まれ、続く「譲治のために」のゾクリとする母子の空気で一気に体温が下がる——そんな落差が心地よい緊張を保ちます。 全編を通じて、“社会のパターン”から零れ落ちる人たちの孤独と、そこから立ち上がる微かな回復が描かれます。私は、登場人物の押し殺した呼吸や、言葉にされない「境界の外側」の温度を受け取りながら、ページをめくる速度と余韻の長さが反比例していくのを感じました。 「爆弾」という言葉は過激ですが、実際に破裂するのは偏見や思い込みです。読後、世界の見え方が一度だけ“ズレる”——そのズレが、私にはとてもありがたいものでした。

【書誌情報】

タイトル単行本 みなさんの爆弾
著者朝比奈あすか【著】
出版社中央公論新社
発売日2018/05
ジャンル文芸(一般文芸)
ISBN9784120050718
価格¥1,705
出版社の内容紹介

シングルマザーで官能小説家、初恋に暴走する中学生など、不器用な愛が弾ける女性たち。生きづらさも涙も明日の力こぶに変わる! はちきれそうな人生の輝きを詰め込んだ短篇集。「初恋」 …12歳の体の中を暴れまわる“恋する本能”。女性同士だって関係ない。「譲治のために」 …聡明で可愛い息子が、いつしか私の人生を狂わせていく。「メアリーとセッツ」 …長いひきこもり生活が、正体不明の少年に打破されて――「官能小説家の一日」 …乳飲み子をあやし、今日も私はエロの本能を呼び覚ます。「世界裏」 …若書きのホラー小説が、恐ろしき日常の裏面をくつがえし……「戦うなと彼らは言った」 …ファンタジー小説家は、いじめられた男子生徒の前でなにができるのか。

────────────────────────────

本の概要(事実の説明)

収録作は「初恋」「譲治のために」「メアリーとセッツ」「官能小説家の一日」「世界裏」「戦うなと彼らは言った」の6編。共通項は“書くひと/読むひと/物語の近くにいるひと”が主人公であること。ジャンル感は多彩で、青春のきらめき、母子の歪み、映画×天才の神話、官能作家の労働と育児、ホラー作家の“向こう側”、塾に通う子どもたちへのエールまで、振れ幅が大きいのに、どの話も最初の一文から読者を捕まえます。 ネタバレを避けつつ言うなら、それぞれの“爆弾”は派手に爆発しないのが特徴です。代わりに、言いよどみ、沈黙、匂い、生活の手触りといった“微粒子”が、登場人物の内側で静かに導火線に火をつける。結果、読者は自分の中の先入観や記憶に引火させられて、遅れて音を聞く——そんな読書体験でした。 実験的な短編が好きな方、人物心理の精密さを味わいたい方、そして“教室・仕事・家族”の三領域でモヤモヤを抱える方に向いていると思います。

印象に残った部分・面白かった点

「初恋」──憧れは光、同時に影。 女子校の“先輩への憧れ”を、過剰でも過小でもなく、ちょうどよい温度で描く筆致に頷きました。言葉のキャッチボールが成立しない片想いの息苦しさと、それでも手放せない眩しさ。私は、あの短い季節の圧力と甘さを思い出させられました。 「譲治のために」──母子の“粘度” 。母の愛の名を借りた執着の湿度に、読んでいて背中が冷たくなる瞬間がありました。結末の解釈には幅があるように思えましたが、「恐い」と感じさせる描写は、感情の領分に踏み込みすぎることへの警鐘として強く残ります。 「官能小説家の一日」──労働と育児のリアリズム 。 官能を書くことと、二歳児の排泄介助の間を往復する“生活の体力”。比喩のキレとユーモアに笑いながら、むき出しの生と文体の距離が縮む瞬間に、私は妙なカタルシスを覚えました。 「戦うなと彼らは言った」──逃げることは敗北ではない 。 塾で働く若手作家が、中高生に投げる言葉が刺さりました。「理不尽の場からは身を潜めていい。本当に大事な場所で戦え」。かつての自分を救い損ねた痛みが、今横にいる誰かの救いになる——その連鎖は静かな希望です。

本をどう解釈したか

私には、この短編集が“規格外”に寄り添う文学に思えました。パターンに適合することで得られる安心の一方で、規格から零れる者は常に寒い。朝比奈さんは、その寒さを誇張せず、しかし曖昧にもせず、語りの視点を巧みにズラして描きます。 もう一つは、「書くこと/語ること」の自己保存機能です。登場人物は、ジャンルの違いこそあれ、言葉と向き合い続けることでバランスを取っています。言葉は爆弾にも盾にもなる。その二面性への自覚が、作品全体の抑制とエネルギーを両立させていると感じました。

読後に考えたこと・自分への影響

読了後に一番残ったのは、「逃げることは敗北ではなく、未来の自分を守る戦略だ」という感覚でした。理不尽の場から距離を取る判断は、臆病さではなく成熟のサインだと受け止め直せます。あわせて、育児やケアのように可視化されにくい労力——心の後始末や関係の調整——へ、もっと意識的に敬意を払いたいと思いました。誰かを眩しく見る“憧れ”は、同時に自分を焼きかねない光でもあります。距離と角度を調整してようやく健やかさに変わる。そのためには言葉の選び方が要で、自分や他者をおとしめる言い回しは遅効性の毒になると痛感しました。言い換えの練習を日常に持ち帰る——それがこの短編集から私が獲得した、静かな実践です。

この本が合う人・おすすめの読書シーン

一編ごとの温度差と余韻を味わうなら、静かな休日の午前に窓を少し開け、温かい飲み物をそばに置いて読み進めるのがしっくりきます。物語の切り替えごとにカップを口へ運ぶリズムが、思考のクールダウンになってくれるはずです。反対に、区切りよく読みたいときは通勤時間がうってつけ。駅と駅のあいだに小さな完結が生まれ、日常へ戻る導線も自然です。ひとつだけ注意するなら、〈世界裏〉の余韻は夜の密な車内と相性が良すぎるかもしれません。光の多い時間帯に読むと、怖さよりも語りの技巧が鮮やかに立ち上がってきます。

『みなさんの爆弾』(朝比奈あすか・著)レビューまとめ

ジャンルも温度も異なる6つの話が、日常に埋め込まれた“見えない爆弾”をそっと露出させます。爆ぜるのは登場人物だけでなく、私の中の思い込みでもありました。読み終えると、世界は同じ顔で、しかし一度だけ位置がズレています——そのズレが、明日を少し生きやすくしてくれると感じました。

コメント