PR

『金環日蝕』(阿部暁子・著)レビュー|なぜ若者たちは「闇」に触れながらもなお光を選ぼうとするのか?

小説・文学

当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

「金環日蝕」というタイトルから、最初はロマンチックな青春小説を想像していました。けれどページを開いてすぐに、その予想は良い意味で裏切られたと感じました。物語の始まりは、高齢女性がひったくり被害に遭う瞬間です。そこに偶然居合わせた女子大生の春風と高校生の錬が、犯人を追いかけるところから、すべてが動き出します。 犯人は取り逃がしてしまうものの、落とされたストラップがひとつだけ残ります。その小さな手がかりから、二人は「二日間だけの探偵ごっこ」を始めます。この導入はどこか軽やかで、「若者コンビのちょっとスリリングな追跡劇かな」と思いながら読み進めていました。 しかし、ストラップの持ち主をたどっていくうちに、物語は少しずつ不穏な空気を帯び始めます。ヤングケアラー、特殊詐欺、犯罪加害者家族へのバッシング。気づけば、ニュースで見聞きするような「現代の闇」が、登場人物たちの身近な現実として立ち上がっていました。軽い会話やテンポの良さの裏側に、どうしようもないやるせなさがにじんでいて、最後までページをめくる手が止まらない一冊でした。

【書誌情報】

タイトル創元推理文庫 金環日蝕
著者阿部暁子【著】
出版社東京創元社
発売日2025/03
ジャンルミステリー
ISBN9784488444211
価格¥950
出版社の内容紹介

知人の老女がひったくりに遭う瞬間を目にした大学生の春風は、その場に居合わせた高校生の錬とともに咄嗟に犯人を追ったが、間一髪で取り逃がす。犯人の落とし物に心当たりがあった春風は、ひとりで犯人捜しをしようとするが、錬に押し切られて二日間だけの探偵コンビを組むことに。かくして大学で犯人の正体を突き止め、ここですべては終わるはずだったが──いったい春風は何に巻き込まれたのか? 『パラ・スター』『カフネ』の俊英が、〈犯罪と私たち〉を切実に描き上げた、いま読まれるべき傑作長編。/解説=瀧井朝世

────────────────────────────

本の概要(事実の説明)

本作は、現代日本を舞台にした社会派ミステリーだと感じました。ジャンルとしては若者たちが中心にいるのでライト文芸の雰囲気もありますが、その中で扱われているテーマはかなり重く、ときに息苦しくなるほどです。 物語の軸は二つあります。ひとつは、女子大生・春風が知り合いの老女のひったくり現場に遭遇し、その場に居合わせた高校生・錬とともに犯人を追うパートです。犯人が落としていったストラップを手がかりに、二人は持ち主を探しながら真相に近づいていきます。もうひとつは、母子家庭で妹を案じる高校生や、理不尽な過去を背負った若者たちの視点で描かれるパートです。 一見無関係に見える二つの流れが、読み進めるうちに少しずつ収束していきます。どこでどうつながるのかを考えながら読む時間は、とてもスリリングでした。登場人物はどの人も何かしらの「傷」や「過去」を抱えています。家族の崩壊、貧困、詐欺に巻き込まれた経験、加害者側の家族としての苦しみ。設定がやや盛り込みすぎだと感じる読者もいると思いますが、その分、今の社会が抱える問題の多さがリアルに伝わってきました。 ミステリーとしては、ひったくり犯を追う筋立てと、詐欺に関わる人々の心理描写が丁寧で、伏線もきちんと回収されていく印象です。ただ、大学生と高校生がここまで動けるのかという点には、少しご都合主義的な印象もありました。それでも、彼らの真っ直ぐさに引っ張られて、最後まで一気読みしてしまう力のある物語だと感じました。

印象に残った部分・面白かった点

まず印象に残ったのは、春風と錬のコンビです。ひったくり事件の現場で出会い、勢いで一緒に犯人を追いかけてしまう二人のやり取りは、軽妙でテンポが良く、ラノベ的な会話劇のようでもありました。それだけに、彼らの背景にある重たい事情が少しずつ明らかになるにつれて、「こんなに軽口を叩いていないとやっていられなかったのかもしれない」と思えてきて、胸が苦しくなりました。 また、若者たちが「危ない」と分かっていながら詐欺や闇バイトに関わってしまう描写も心に残りました。ニュースで見るときにはどこか遠い世界の話のように感じてしまいますが、本作では彼らの生活事情や心理が具体的に描かれていて、「こういう状況に追い込まれていたら、自分だって絶対に距離を取れると断言できるだろうか」と考え込んでしまいました。 「人が騙し騙されることは、きっと永久になくならない」というような一文に象徴されるように、この物語には、人間の業のようなものが静かに漂っています。それでも、完全な「悪人」として描かれている人物はほとんどいません。誰かを傷つける選択をした人にも、その人なりの事情や葛藤があることが丁寧に示されていて、簡単に「許せない」で切り捨てられない複雑さに、何度も立ち止まりながら読みました。

本をどう解釈したか

タイトルの「金環日蝕」は、作中で説明される天文現象としての意味だけでなく、登場人物たちの生き方そのものを象徴しているように感じました。一度は太陽が隠されてしまうけれど、完全な皆既にはならず、リング状の光がかすかに残る。そのイメージは、過去や社会の理不尽さに飲み込まれそうになりながらも、どこかに希望の光を見いだそうとする彼らの姿と重なります。 本作に登場する若者たちは、誰一人として「まっさらな青春」を送ってはいません。貧困、家族の崩壊、ヤングケアラーとしての負担、犯罪に巻き込まれた経験。そうした影が、彼らの心を確実に蝕んでいます。それでも、完全に闇に落ちるのではなく、誰かのことを思いやる気持ちや、ほんの小さな正義感にすがりながら、ぎりぎりのところで踏みとどまろうとしているように見えました。 私は、この物語が告発しているのは「悪い個人」ではなく、むしろ周囲の大人や社会が若者たちを追い込んでいる構造そのものではないかと感じました。危うい仕事に手を出してしまうのは、倫理観が欠けているからではなく、生きるための選択肢が極端に少ないからかもしれません。それでも、著者は決して世界を真っ暗には描きません。人を騙す能力を持ちながら、あえてそうしない人たちの存在や、小さな善意の積み重ねが世界を辛うじて成り立たせているのだ、というメッセージが、最後には静かな希望として残りました。

読後に考えたこと・自分への影響

読み終えて感じたのは、「自分は本当に安全圏にいるのだろうか」という不安と、「それでも誰かを信じたい」という思いの入り混じった感覚でした。詐欺や犯罪は、どこか遠い場所で起きている出来事ではなく、少し条件が違えば、自分や自分の身近な人が巻き込まれていてもおかしくない。そのリアリティに、背筋が少し寒くなりました。 同時に、「騙す側」に回ってしまう若者たちのことも、以前より立体的に想像できるようになった気がします。報道では「加害者」としてしか語られない彼らにも、それぞれの家庭事情や守りたかったものがあったのだろうという視点を、頭の片隅に持っていたいと感じました。それは決して犯罪を許すという意味ではなく、そうした状況を生まないために、何ができるのかを考えるきっかけにもなると思いました。 また、この物語を通して、「誰かと一緒に悩んでくれる人がそばにいること」の大きさにも気づかされました。春風と錬、そして他の登場人物たちは、それぞれに事情を抱えながらも、完全には孤立していません。ぎこちなくても、誤解し合いながらでも、何とか繋がろうとする姿に、妙な勇気をもらいました。自分自身も、身近な人が困っていそうなときには、少しだけ踏み込んで声をかける側でいたいと感じました。

この本が合う人・おすすめの読書シーン

この本は、軽い気分転換というより、じっくり向き合いたい一冊だと感じました。仕事や家事が一段落した夜、スマホから少し距離を置いて、静かな時間を作って読むのがおすすめです。ひったくり事件のスリリングな展開に引き込まれつつも、登場人物たちの背景にある重さがじわじわと効いてくるので、読み終えたあとにしばらく余韻が残ります。 もうひとつは、自分の将来や家族のことを考えたい夜に開く読み方です。ニュースで詐欺事件や若者の貧困問題を見て、どこかモヤモヤした気持ちを抱えているときにこの物語に触れると、そのモヤモヤに少しだけ言葉が与えられるように感じました。派手なカタルシスではなく、胸の奥に小さな火を灯すような読書体験をしたいときに、そっと手に取ってほしい一冊です。

『金環日蝕』(阿部暁子・著)レビューまとめ

『金環日蝕』は、ひったくり事件を入口に、若者たちの心の傷と現代社会の闇を描き出す物語でした。登場人物の多くが過酷な過去を背負いながらも、完全な闇ではなく、かすかな光を選び続けようとする姿が、タイトルそのもののイメージと重なって胸に残ります。少し重たいけれど、今の社会を生きる私たちにとって必要な痛みと希望を同時にくれる、読み応えのある一冊だと感じました。

コメント