
思春期の「めんどうくささ」を、こんなに丁寧に拾い上げてくれる物語は珍しい。『きみの話を聞かせてくれよ』は、中学校というごく小さな世界を舞台にした連作短編集です。けれど、その中で描かれるのは、私たち誰もが一度は通り抜けてきた「人間って、なんでこんなに面倒で、だけど愛おしいんだろう」という感情の揺れです。読んでいる間じゅう、自分の中学生時代の記憶が、少しずつ残存していた埃を払われるように立ち上がってくるのを感じました。 友だちとのちょっとしたすれ違い。女の子らしさや男の子らしさといった「らしさ」に押しつぶされそうになる息苦しさ。相手に悪気がないからこそ、怒っていいのかも分からない曖昧な痛み。そうした感情が、どれも強烈にリアルで、読んでいて何度も胸がドキドキしました。派手な事件や公開処刑のようなドラマは起こりませんが、登場人物たちの心の振動は、時に法外なくらい大きく見えるのです。 そんな彼らの世界に、ふっと入り込んでくる「くろノラ」こと黒野くんの存在が、この物語のトリガーになっています。彼は誰かを支配したり、マインドコントロールしたりはしません。ただ、ちょっと不思議な角度から声をかけて、話を聞いて、相手の中にすでにある答えをそっと掘り起こしていく。そのさりげなさが、読んでいて心底うらやましく、そして救われるように感じました。
【書誌情報】
| タイトル | フレーベル館文学の森 きみの話を聞かせてくれよ |
|---|---|
| 著者 | 村上雅郁/カシワイ |
| 出版社 | フレーベル館 |
| 発売日 | 2023/04 |
| ジャンル | 文芸(一般文芸) |
| ISBN | 9784577051863 |
| 価格 | ¥1,694 |
新船中学校を舞台に7つの短編を連作に。もやもやした気持ちやずっと抱えてきた秘密。ぼくらの心によりそって、きみは「聞かせてくれよ」と言った。
本の概要(事実の説明)
本書は、中学校「新船中学」を舞台にしたYA作品で、七つの短編が互いにゆるやかにつながる連作スタイルです。美術部、吹奏楽部、ケーキづくりが得意な男子、いたずら好きの男子、妹の不登校に揺れる兄、生徒会長の「ウサギ王子」など、さまざまな立場の中学生たちが、章ごとに語り手を交代しながら自分の物語を語っていきます。 「シロクマを描いて」では、かつての親友と拗れてしまった美術部の立花が、「どこで間違えたのか」に執着しながらキャンバスに向かいます。「タルトタタンの作り方」では、小柄で可愛い系のケーキ男子・虎之介が、周囲から「マスコットキャラ」として扱われることに息苦しさを覚えます。「ぼくらのポリリズム」では、吹奏楽部の先輩・夏帆が、失恋で落ち込む後輩をどう支えたらいいのか分からず、沈黙と向き合います。 それぞれのエピソードは、一見すると小さな悩みのようにも思えます。けれど、中学生の彼らにとっては、それが人生の核心に触れるほど大きな問題です。読み進めるほどに、「悩みのサイズで大人と子どもを分けるのは、とても不合理なのだ」と感じさせられました。 対象読者としては、中学生から大人まで幅広くおすすめできます。思春期ど真ん中の読者には「今まさに自分のことだ」と感じられるでしょうし、大人の読者には、忘れたフリをしていた自分の「くろノラ」時代を、少し痛みを伴いながらも優しく思い出させてくれる物語だと感じました。
印象に残った部分・面白かった点
私が一番心を揺さぶられたのは、「相手に悪気がなかったら、なにもかも許さなきゃいけないってわけでもない」というニュアンスの言葉が出てくる場面です。思春期の人間関係って、「悪気がない」からこそ厄介で、だからこそ怒りや悲しみを自分の中に押し込んでしまいがちですよね。この一言は、その我慢の構造をスッと粉砕してくれるような、決定的なメッセージに感じました。 また、「百万の言葉より雄弁な沈黙」というモチーフも印象的でした。話し合うこと、言葉にすることの大切さは、よく語られます。でも本書では、あえて言葉を重ねすぎない沈黙が、相手への最大限のリスペクトになる瞬間が描かれます。そのバランス感覚が、とても精巧で、簡単な自己啓発では到底たどり着けない深さだと感じました。 連作のあちこちに顔を出す黒野くんは、まさに「くろノラ」という名前の野良猫のように、誰かに鷲掴みにされることなく、ふらっと現れては、少しだけ世界の見え方を変えていきます。彼のちょっかいは、悪魔のような罠ではなく、むしろ相手の中に眠る可能性にそっと光を当てるやさしいトリガーです。彼のセリフや行動は、読後も何度も心に刻むことになりそうだと感じました。
本をどう解釈したか
作中で引用される「ヘラクレイトスの川」や「テセウスの船」の話が、とても象徴的でした。同じ川に二度と入れないように、人は常に変化し続けている。けれど、その人をその人たらしめている何かは、どこかで一貫している。中学生たちが「自分らしさ」をめぐって揺れ動く姿は、まさにその哲学的なジレンマの具体例のように思えました。 女らしさ、男らしさに対する抵抗や違和感、マスコットキャラ扱いへの嫌悪感、ひとりで平気なフリをする自分への疑問。それらはすべて、「自分は本当はどうありたいのか?」というセルフイメージの再構築のプロセスだと感じました。村上雅郁さんは、その揺さぶられる過程を、説教やマネジメントのような上から目線ではなく、限りなく当事者の目線に近い位置から描いているように思えます。 そして、黒野くんは「答えを与える人」ではありません。彼はむしろ、相手の中にすでにある答えを、少しだけ掘り起こす役割に徹しているように見えました。そのスタンスが、現代社会の「すぐに正解を教えてほしい」という風潮とは真逆の方向にあって、とても印象的です。答えを押し付けず、相手に考える余白を残すことこそが、真の意味での優しさなのだと、この物語から学んだように感じました。
読後に考えたこと・自分への影響
読み終えたあと、いちばん強く残ったのは、「人間ほどおもしろいものはない。いとおしい」という感覚でした。人と人が関わると、必ずと言っていいほど誤解やすれ違いが生まれます。ときには相手の言葉に傷つき、自分の不器用さに落ち込み、逃げ場がないような気持ちになることもあります。それでもなお、「だからこそ人って面白い」と思える境地にたどり着くまでには、強烈な葛藤が必要なのだと感じました。 同時に、「話を聞いてくれるだけの誰か」が、どれほど大きな力を持つのかにも気づかされました。アドバイスや裏技のような答えをくれる人より、ただ黙って、あるいは少しだけ言葉を添えながら耳を傾けてくれる人の存在。その人がいてくれたからこそ、私たちはギリギリのところで自滅せずに済んだのかもしれません。振り返ると、自分の中学生時代にも、名前をつけられない「くろノラ」のような存在がいたのだろうな、としみじみ思いました。 この本は、「大きな成功」や「サクセスストーリー」を語るわけではありません。むしろ、その他大勢の、名前も残らないような日々の揺れを、丁寧になぞっています。だからこそ、読み手一人ひとりの中にある小さな傷や後悔と、静かにフュージョンしていくような読後感がありました。自分の過去も現在も、少し受け入れやすくなるような、穏やかな癒しの力を持った一冊だと感じました。
この本が合う人・おすすめの読書シーン
この本を読むのにいちばんおすすめなのは、静かな休日の午後です。予定をぎっしり詰め込むのではなく、少し時間に余白を残した日。お気に入りの飲み物を用意して、スマホから少し距離を置き、ページを開いてみてほしいと感じました。物語に没頭しているうちに、ふと、自分の中学生時代の光景が、ぼんやりと浮かび上がってくるかもしれません。 夜、眠る前の時間にも合うと思いました。一気読みしてもいいのですが、一話ずつゆっくり味わう読み方もおすすめです。読み終えた章の余韻が心に残ったまま、電気を消して目を閉じると、自分の中にも残っている「言えなかった本音」や「気づかないふりをしてきた感情」が、少しだけ顔を出すように感じました。その揺れを、無理に中和しようとせず、ただ眺めてみる時間として、この本はとても相性がよいと思います。 もし今、身近な誰かとの関係に違和感を抱えていたり、自分の「らしさ」に悩んでいたりするなら、自分と向き合うための静かな儀式のように、この物語を開いてみるのもいいかもしれません。きっと、黒野くんや「くろノラ」の影が、ページの間からそっと現れて、あなたの話を聞いてくれているような気分になると思いました。
『きみの話を聞かせてくれよ』(村上雅郁・著)レビューまとめ
『きみの話を聞かせてくれよ』は、中学生たちのささやかな出来事を通して、「人と関わることのめんどうくささ」と「それでも人を好きでいられる理由」を静かに暴き出す物語だと感じました。
誰かの話をちゃんと聞くこと。自分の気持ちを無理にごまかさないこと。その二つのシンプルな行為が、どれほど強力に人を支えるのかを教えてくれる一冊です。中学生の読者には今の自分のために、大人の読者にはかつての自分をそっと抱きしめ直すために、ぜひ手に取ってほしいと心から思いました。


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