
「本には力がある。」この言葉は、読書好きなら一度は心に刻むフレーズだと思いますが、『本を守ろうとする猫の話』は、その当たり前すぎて見落としがちな真実を、物語という強力な「トリガー」で再び立ち上がらせてくれる作品だと感じました。読み終えたあと、書棚を見渡す自分の視線が、ほんの少しだけ変わっているのに気づきます。 物語の入り口は、とてもやさしいファンタジーです。古書店、祖父を亡くした高校生の林太郎、そしてしゃべるトラネコの「トラ」。けれど、彼らが足を踏み入れる迷宮は、ただ不思議で楽しい世界ではなく、本と読書をめぐる現代の「現実」をぎゅっと圧縮したような空間です。本をコレクションとして所有するだけの人、本を切り刻んで要約だけを消費する人、本をただ「売りさばく」商品としてしか見ない人たち。その姿は、どこか自分自身の習慣にも刺さってきて、少し当惑させられました。 それでも全体としての読み味は、暗く沈むというより、じんわりと温かい余韻です。トラのセリフや林太郎の迷い、祖父の言葉が、読書という行為の「苦さ」と「甘さ」を優美に中和してくれるように思いました。本が好きな人にとっては、心拍数が少しだけ上がるような、静かな興奮をくれる一冊です。
【書誌情報】
| タイトル | 本を守ろうとする猫の話 |
|---|---|
| 著者 | 夏川草介【著】 |
| 出版社 | 小学館 |
| 発売日 | 2022/09 |
| ジャンル | ノベルス |
| ISBN | 9784094066845 |
| 価格 | ¥715 |
「お前は、ただの物知りになりたいのか?」 夏木林太郎は、一介の高校生である。幼い頃に両親が離婚し、さらには母が若くして他界したため、小学校に上がる頃には祖父の家に引き取られた。以後はずっと祖父との二人暮らしだ。祖父は町の片隅で「夏木書店」という小さな古書店を営んでいる。その祖父が突然亡くなった。面識のなかった叔母に引き取られることになり本の整理をしていた林太郎は、書棚の奥で人間の言葉を話すトラネコと出会う。トラネコは、本を守るために林太郎の力を借りたいのだという。 お金の話はやめて、今日読んだ本の話をしよう--。 感涙の大ベストセラー『神様のカルテ』著者が贈る、21世紀版『銀河鉄道の夜』!
本の概要(事実の説明)
本作は、古書店を舞台にしたファンタジー小説です。祖父を亡くし、古書店から離れることになった高校生・夏木林太郎の前に、しゃべるトラネコが現れ、「お前の力を借りたい」と告げるところから物語は始まります。トラに導かれて林太郎が迷い込むのは、本を「閉じ込める者」「切りきざむ者」「売りさばく者」など、本を道具として支配しようとする人々が支配する迷宮の世界です。章構成も、「4つの迷宮+序章・終章」という連作短編のような形をとっていて、一つひとつの迷宮で「本への向き合い方」が問われます。 各迷宮はどれも奇妙で、少しだけ不気味で、でもどこかで見覚えがある世界です。読まずに積まれたままの本の山、速読や要約だけで知った気になってしまう姿勢、売れている本だけが「正解」のように扱われる風潮。読者としての自分の姿がそこに薄く重なって、ちょっと胸がチクリとする場面もありました。 最終章で林太郎が対峙するのは、「古書中の古書の権化」と呼ばれる存在です。時代を超えて読み継がれてきた古典、あるいは「本の象徴」とも言えるような存在に対して、林太郎は「本には力がある。でもそれは本そのものの力ではなく、それを読む人の頭と足があってこそ生きる力だ」といった趣旨の答えを返していきます。そこには、作者が長年蓄積してきた読書体験と、本へのリスペクトが残存しているように感じました。 読書が好きな人、本との関わり方に悩んでいる人、積読に罪悪感を抱きながらもやめられない人にはもちろん、最近あまり本を読めていないな…と感じている大人にもおすすめです。物語自体は読みやすく、中高生の読書入門にも向くと思いました。
印象に残った部分・面白かった点
一番印象に残ったのは、「読書は登山に似ている」「本を読むことは、山に登ることと似ている」という祖父の言葉です。一気に高い山は登れない。でも、苦しい息切れや足の痛みを味わいながら登った山ほど、頂上から見える景色は忘れられない。読書にも、同じような「苦しい読書」があり、それを避け続けていると、どこかで自分の世界が狭くなっていくのかもしれないと感じました。 また、「本には力がある。けれど、それはお前の力ではない」という一節も強烈でした。本の言葉を借りて、自分が急に賢く、特別な存在になったような錯覚に陥る感覚は、多くの読書家にとって身に覚えがあると思います。本を読みさえすれば自動的にレベルアップできるわけではなく、その内容を自分の頭で考え、自分の足で歩くことで初めて、血液や骨のように自分の中に定着していく。そこを忘れてしまうと、どれだけ本を積み上げても、内側はスカスカのままなのだと痛感しました。 トラネコのキャラクターも魅力的です。どこか愉快犯のように見えつつも、本を愛するがゆえに、時には容赦なく人間の怠け癖を指摘します。でも、その口調には嫌悪感よりも不思議と安心感があり、「本当に本を好きでいていいんだよ」と背中を押されているようにも感じられました。 さらに、物語の中で世界の古典や名作が次々と名前だけ登場する仕掛けも心地よかったです。作品名が挿し込まれることで、自分の読書歴と物語の世界がフュージョンしていくような感覚があり、「あ、これも読んでみたい」「そういえばあの本、途中で放棄したままだった」と、新しい読書のきっかけがいくつも生まれました。積読が増えるという意味では、なかなか罪深い一冊かもしれません。
本をどう解釈したか
私なりにこの物語を読むと、本作は「本を守る話」であると同時に、「本に支配され過ぎないための話」でもあると感じました。本の力を信じるあまり、読書が人生のすべてになってしまう危うさを、作者はどこか冷静な目で見ているように思えます。本の中に逃げ込み続けることは、一種の自己防衛でありながら、現実と向き合うことからの逃げ道にもなり得る。そこに潜むリスクを、やさしい物語の装いの中で、そっと指摘しているように読み取りました。 「読書ばかりしている者は、ついにはものを考える能力を喪失してしまう」というメッセージは、一見するとかなり強烈で、読書好きにとっては少しショックな言葉です。ただ、ここで否定されているのは読書そのものではなく、「考えることを放棄した読書」なのだと思いました。引用メモだけ集めてわかった気になる態度、読了数という数字だけを誇る自己満足の姿勢。それらは、本の持つ力を上手く扱えていない状態であり、読書を通じて人生を豊かにするどころか、自分を縛る鎖にしてしまう危険なクセでもあります。 一方で、本作には確かな希望もあります。「難しい本に出会ったらそれはチャンスだ」という一文が象徴的で、苦しい読書の向こう側には、新しい景色、新しい自分、新しい他者へのまなざしが待っていると教えてくれます。本には、人類の長い歴史の中で蓄積されてきた経験や思想が詰まっていて、それは決して一夜にして手に入るものではありません。けれど、ゆっくりでも、自分のペースで山を登り続ければいいのだと、この物語はさりげなく励ましてくれているように感じました。 トラや祖父の言葉を通して、「ユーモア」の大切さが繰り返し語られるのも印象的でした。理不尽で暗黒のように感じる現実の中で、理屈でも腕力でもなく、ユーモアこそが最良の武器になるという考え方は、本好きな人間にとって心底救いになります。本を通じて身につくのは、単なる知識ではなく、世界と自分を少しだけ斜めから見る視点なのだと改めて思いました。
読後に考えたこと・自分への影響
読み終えてまず思ったのは、「最近、自分はどんな読書をしていただろう?」という素朴な自問自答でした。読みやすくて、流行っていて、すぐに役立ちそうな本だけを選びがちだったなと、少し反省もしました。読書をしているつもりでも、実は「読んだ自分」に酔っていただけの瞬間もあったかもしれません。作者の言葉に少しだけ揺さぶられ、心のどこかがピリッと刺激された感覚があります。 同時に、「本には心がある」「本には力がある」というフレーズを、以前よりもずっと素直に信じられるようにもなりました。本を何度も読み返しているうちに、その本との間にだけ通じ合う関係が生まれていく感覚は、多くの読書家が共有しているものだと思います。嬉しいときも、悲惨な気持ちのときも、ページを開けばそこに変わらず在り続けてくれる。本は、人間関係がうまくいかないときの「逃げ場」でありつつ、同時に、現実に戻る勇気をくれる存在でもあると感じました。 この本は、「もっとたくさん読め」と急かしてくるのではなく、「どう読みたい?」と静かに問いかけてきます。速読や要約頼みの読書ではなく、頭を使って、ページの向こう側にいる著者や登場人物とじっくり向き合う読書。売れている本だけではなく、自分だけの一冊を見つけにいく読書。そんな、少し手間のかかる読書を、もう一度やってみたいという気持ちがじわじわ湧いてきました。 そして何より、「本が好きだ」というシンプルな想いを、もう一度大切にしようと思えました。読書量を数字で競う必要も、難解な本だけを読んで自分を飾る必要もありません。ただ、自分のペースで、本の中の世界を楽しみ、考え、時々立ち止まりながらページをめくる。その行為そのものが、すでに小さなサクセスストーリーであり、人生を豊かにする行為なのだと気づかせてくれる作品でした。
この本が合う人・おすすめの読書シーン
この本を読むなら、静かな休日の午前か午後、少し長めの時間を確保してゆっくり向き合うのがおすすめだと感じました。窓からやわらかい光が差し込む部屋で、お気に入りの飲み物を片手に、スマホを少し離れた場所に置いておく。物語に集中できる環境を整えると、迷宮の扉がより鮮明に開いていくように思えます。 また、自分と向き合いたいとき、本棚の前で立ち止まるような気分の日にもぴったりです。積読本の山に少し罪悪感を覚えているときこそ、この物語はよく効く「特効薬」になるかもしれません。林太郎とトラの会話を追いながら、「自分は何のために本を読んでいるのか」「今、本とどんな距離感でいたいのか」を、肩の力を抜いて考えてみる時間になります。 寝る前の一気読みよりは、何回かに分けて、迷宮ごとに区切って読むのも良いと思いました。一章読み終えるごとに本を閉じて、自分の読書観をそっと点検する。そんな読み方をすると、物語が「ただのファンタジー」から、自分の生活に直結した問いを投げかけてくる存在に変わっていきます。読後、思わず手持ちの本を一冊取り出して、ゆっくりページをめくりたくなるはずです。
『本を守ろうとする猫の話』(夏川草介・著)レビューまとめ
本が好きな人にとって、『本を守ろうとする猫の話』は、少し耳の痛いことも優しく伝えてくれる一冊だと感じました。「本には力がある」というシンプルな真理を、迷宮とトラネコの物語を通して、もう一度ていねいに思い出させてくれます。読書に少し迷いが出てきたとき、自分と本との距離を確かめたくなったときに、何度でも読み返したくなる本だと思いました。


コメント