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『八月の御所グラウンド』(万城目学・著)レビュー|青春と戦争は今の私たちに何を問うのか?

小説・文学

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『八月の御所グラウンド』を読み終えたとき、胸の奥でじわじわと何かが燃えるような感覚が残りました。京都を舞台にした駅伝と草野球、どちらも一見すると爽やかな青春スポーツ小説です。それなのに、最後には戦時中の若者たちの「生きたかっただろうな」という想いが強烈な余韻となって心に刻まれ、しばらく現実に戻れませんでした。 読み始めたときは、「京都青春もの」「スポーツ小説」として、比較的軽やかな読書体験を予期していました。ところが、駅伝のコースに突然現れる新選組風の集団や、御所のグラウンドに紛れ込んでいる「えーちゃん」たちの正体が少しずつ浮かび上がるにつれ、物語はいつのまにか、戦争と青春が交錯する深い領域へと読者を連れていきます。目に見えるのはただの試合なのに、その背後には「失われた時間」と「生き残った者」の責任感が重なっていく構造が、とても影響力のある仕掛けだと感じました。 万城目作品らしいユーモアや奇妙な設定は健在なのですが、それが笑いだけで終わらず、戦時中の若者の無念と現代の学生たちの日々を中和する役割も果たしています。読んでいて心拍数が上がるような躍動感と、ふと訪れる静かな痛み。その振幅の大きさに、読後しばらくは「自分はちゃんと生きているだろうか」と、自分に問いかけ続けてしまいました。

【書誌情報】

タイトル文春e-book 八月の御所グラウンド
著者万城目学【著】
出版社文藝春秋
発売日2023/08
ジャンルノベルス
ISBN9784163917320
価格¥1,700
出版社の内容紹介

京都が生んだ、やさしい奇跡。ホルモー・シリーズ以来16年ぶり京都×青春感動作女子全国高校駅伝――都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。謎の草野球大会――借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとは――。今度のマキメは、じんわり優しく、少し切ない人生の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る傑作2篇。 大学時代を京都で過ごした万城目学さんが『鴨川ホルモー』でデビューしたのは2006年。その後も『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』など、独自の世界観と鮮烈な感性で私たちを驚かせ続けてきましたが、意外にも京都を舞台にしたのは『ホルモー六景』(2007年)が最後でした。 その万城目さんが16年ぶりに京都に帰って来ます。収められた2篇はそれぞれ、女子高校生と男子大学生を主人公としたド直球の青春小説。まさに「ホルモー」シリーズの万城目学、再来!とも言えますが、「ホルモー」が途轍もない勢いを感じさせる作品だとしたら、本書は瑞々しい感性はそのままに、しかしどこか成熟の匂いがします。 京都で起こる奇跡のようなフシギな出来事が、私たちの心の中にじんわりと優しく、同時になんとも切ない感情を呼び起こすのです。青春とは、人生とは、こうしたものかもしれない、そういう名状しがたい感動が心に拡がります。もしかすると、これまでのどの万城目作品にもなかった読後感かもしれません。 鮮烈なデビューから17年。いまふたたび、万城目学に「再」入門してみてはいかがでしょうか。

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本の概要(事実の説明)

本書には「十二月の都大路上下ル」と表題作「八月の御所グラウンド」の二編が収録されています。どちらも京都が舞台で、前者は女子高校生たちの全国高校駅伝、後者は大学生が参加する草野球大会「たまひで杯」を中心に物語が進みます。ジャンルとしては青春小説でありながら、歴史や戦争の影を静かに引き寄せるファンタジー要素を含んだ作品だと感じました。 「十二月の都大路上下ル」では、絶望的に方向音痴な女子高校生が、急遽アンカーとして都大路を走ることになります。駅伝の臨場感や、仲間とのやり取り、ライバルとの奇妙な交流のなかに、「誠」の旗を掲げた謎の新選組コスプレ集団が現れ、読者はいつのまにか現実と非現実の境目を見失っていきます。京都の冬の空気、凍てつくような冷気の描写が、とても精巧に伝わってきました。 一方、「八月の御所グラウンド」では、大学卒業を目前にしながら毎日を緩くやり過ごしている朽木と多聞が、早朝の草野球大会に参加します。チームメイトには、中国人女子留学生シャオや、「えーちゃん」と呼ばれる不思議な青年たちがいます。読み進めるうちに、彼らが戦時中に学徒出陣した若者たちと深く結びついていることが示され、御所のグラウンドが、過去と現在が重なり合う特別な場所として立ち上がってきます。 スポーツの躍動感と京都という土地の魔力、そこに残存している歴史の影を、万城目学さんが独特の筆致で融合させた一冊だと感じました。青春小説が好きな方はもちろん、戦争と若者の人生についてあらためて考えたい大人の読者にもおすすめできます。

印象に残った部分・面白かった点

印象に残った場面は数え切れないのですが、まず「八月の御所グラウンド」における草野球の描写は、まさに圧巻でした。打球音、走者のスパイクが土を蹴る音、炎天下で汗が流れ落ちる感覚まで伝わってくるようで、読んでいるこちらの心臓までドキドキしてしまいました。野球シーンにここまで強力な生命感を与えられるのは、かなりの筆力だと感じました。 その一方で、「彼らは生きたかっただろうな」「野球がしたかっただろうな」という思いがにじむ描写には、何度も胸を締め付けられました。楽しく試合をしているように見える青年たちの背景に、戦争というどうしようもない暴力が静かに立ち上がってくる瞬間は、派手な演出がないにもかかわらず、読者の深層心理を大きく揺さぶるトリガーになっていると感じました。 また、「俺たちはちゃんと生きているか」というセリフも忘れられません。自堕落とまではいかないけれど、どこか目的意識を持てないまま大学生活をやり過ごしている朽木たち。彼らが、戦時中に全てを途中で奪われた若者たちと対比される形で浮かび上がることで、この一言は単なる自己啓発的なフレーズではなく、読者一人ひとりの人生に向けられた鋭い問いとして響いてきます。私自身も、その問いから簡単には逃げられないように感じました。 「十二月の都大路上下ル」に出てくる、新選組コスプレ集団も強烈でした。刀を振り回すわけではないのに、どこか怪しい、けれどどこか優しい存在として描かれていて、駅伝の緊張感と京都の歴史が不思議なかたちで融合していきます。彼らが象徴しているものを考えるほど、単なる「面白い設定」以上の意味が見えてくるようで、読みながら何度も立ち止まりたくなる瞬間がありました。

本をどう解釈したか

この本を通して私が感じたのは、「生きている側」と「生きられなかった側」の距離の取り方についての、静かな問いかけです。御所グラウンドに現れるえーちゃんたちは、はっきりと「幽霊」と断言されているわけではないのに、彼らの存在の仕方には、戦場で青春を断ち切られた若者たちの影が濃く宿っています。あえて明確な答えを提示しないことで、読者の想像力が余白を埋めていく構造になっているように思えました。 現代を生きる朽木たちは、何かに必死にしがみついているわけでもなく、かといって極端に不幸というわけでもありません。どこか無気力で、日々をなんとなく消費している姿は、正直に言うと読みながら少し痛かったです。けれど、その「怠け者」とも言える緩いライフスタイルは、戦時中の若者から見れば、贅沢でありながらも、どこか心配になってしまう生き方なのかもしれません。そこに、時間を越えた対話のようなものを感じました。 五山の送り火のシーンは、この解釈を決定的なものにしてくれました。京都の夏の夜空に浮かぶ炎は、観光行事として見れば華やかですが、この作品では、燃え残った魂の火を静かに送り出す儀式のように描かれています。送り火を見上げる朽木の心のなかに、小さな炎が着火したように感じられる描写に、「過去から託されたバトンを、今を生きる私たちがどう受け取るのか」というテーマが、はっきりと浮かび上がったように思いました。 「十二月の都大路上下ル」もまた、歴史上の人物や新選組のイメージを借りながら、現在の高校生たちの走りに意味を与えていきます。京都という土地の「歴史の重み」が、若者たちの一歩一歩に重ねられていく感覚は、単なるご当地小説を超えたものだと感じました。

読後に考えたこと・自分への影響

読後、私の中に一番残ったのは、「好きなことに没頭できる時間は、決して当たり前ではない」という気づきでした。駅伝に全てをかける高校生、真夏の御所で野球に夢中になる大学生たち。そして、戦時中に学徒出陣し、二度とグラウンドに戻れなかった若者たち。彼らの姿を重ねて読むことで、自分が日々「なんとなく」過ごしている時間の貴重さが、ひりひりするほど浮かび上がってきます。 「俺たちはちゃんと生きているか」というセリフは、自己啓発的なスローガンではなく、過去の誰かから現在の私たちに向けられた、率直で切実な問いだと感じました。仕事や家事に追われる日々のなかで、つい自分の感情や夢を削除してしまうことがありますが、この作品を読んだあとでは、そんな習慣に少しブレーキをかけたくなります。小さくてもいいから、自分の中に「これだけは大事にしたい」と思える火を守りたい、と自然に思わされました。 また、スポーツの現場で起こる体罰やいじめ、暴力といったニュースに触れるたび、この本の一節「体罰、イジメ、暴力なんてしている場合じゃないよ」という感想が、強く頭に浮かびます。好きな競技に打ち込める時間がどれほど限られた贈り物なのかを考えると、そこに暴力が入り込むことが、いかに悲惨で不合理なことかがよく分かります。 この物語は、読者を無理やり鼓舞するのではなく、静かに、しかし確実にマインドセットを少しだけ変えてくれる一冊だと感じました。日々の中でつい見落としてしまう「生きていることの重さ」を、丁寧に照らしてくれる本だと思います。

この本が合う人・おすすめの読書シーン

この本は、夜にじっくりと、できれば一人で読むことをおすすめしたいです。特に夏の終わりや、お盆の頃に読むと、五山の送り火の描写や、八月の空気が一段とリアルに感じられます。窓の外が少し暗くなって、静けさが増していく時間帯にページを開くと、京都の夜の空気と物語の空気が、ゆっくりと重なっていくようでした。 もう一つのおすすめは、自分と向き合う時間を意識的にとりたいときです。現実の悩みや仕事のタスクから少し距離をとって、「自分は今、ちゃんと生きているだろうか」と落ち着いて考えたくなったとき、この本は良い相棒になってくれると感じました。駅伝のコースや御所グラウンドの描写を追いながら、自分自身の青春や、途中で置いてきてしまった夢のことを、自然と思い出させてくれます。 読後には、誰かと感想を語り合うのもおすすめです。特に、同じように学生時代を京都やスポーツとともに過ごした人と話すと、共感ポイントが山盛りに出てきそうだと感じました。それぞれの「八月」「十二月」の記憶と照らし合わせながら、この物語の意味を何度でも反芻したくなる、そんな読書体験になると思います。

『八月の御所グラウンド』(万城目学・著)レビューまとめ

『八月の御所グラウンド』は、京都を舞台に、駅伝と草野球という身近なスポーツを通して、「生きられなかった若者たち」と「今を生きる私たち」を静かに結びつける物語でした。奇想天外でありながら、じんわりと優しく、少し切ない。そのバランスが絶妙で、読後には「俺たちはちゃんと生きているか?」という問いが長く残ります。青春小説としても、戦争をめぐる物語としても、多くの人の心を揺さぶる一冊だと感じました。

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