サイゼリヤに行くたび、少しだけ不思議に思うことがある。
なぜ、ポテトが主役顔で出てこないのか。
なぜ、唐揚げで客を殴ってこないのか。
なぜ、ファミレスなのに「揚げ物祭り」を開催しないのか。
普通なら、揚げ物は強い。
子どもは好き。
大人も好き。
疲れた胃袋も、だいたい油に負ける。
「とりあえずポテト」
この一言だけで、テーブルの空気はかなり丸くなる。
なのに、サイゼリヤはそこへ全力で寄せない。
ここに、あの店の変態的な合理性がある。
結論から言う。
サイゼリヤに揚げ物が少ないのは、ただの好みではない。
「味をばらつかせない」
「現場を複雑にしない」
「余計なコストを増やさない」
この三つを守るためだ。
つまり、サイゼリヤは料理を増やしているのではなく、面倒を削っている。
この違和感の正体は、
「売れそうなものを、あえてやらない強さ」
だ。
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その違和感の始まり
最初は、単純に思う。
ポテトくらい置けばいいのに。
唐揚げくらいあってもいいのに。
ファミレスなんだから、揚げ物があって当然じゃないか。
でも、サイゼリヤはそう考えない。
揚げ物を出すには、業務用フライヤーが必要になる。
フライヤーを置けば、油の管理が始まる。
油は酸化する。
においが出る。
機械はベトベトになる。
閉店後には掃除が待っている。
油を抜く。
濾す。
磨く。
拭く。
また汚れる。
また掃除する。
これを毎日やる。
私は学生時代、ピザ屋で働いたことがある。
油まわりの作業は、本当にしんどい。
しかも地味だ。
達成感は薄い。
手はベトつく。
服にはにおいが残る。
心の中で、
「この油と人生を共にする覚悟は私にはない」
と思った。
フライヤーの掃除には夢がない。
あるのは油膜だけだ。
だから、サイゼリヤが揚げ物を増やさない理由はよく分かる。
売れそうでも、やらない。
人気が出そうでも、やらない。
現場を重くし、においを増やし、安さを削るなら、やらない。
この潔さが、あの店らしさだ。
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違和感の正体
サイゼリヤの違和感の正体は、
「料理を人の腕に任せすぎないこと」
だ。
レストランのチェーン経営で一番怖いのは、店舗ごとに味が違うことだ。
同じメニューなのに、ある店ではおいしい。
別の店では微妙。
これが続くと、客は安心して注文できなくなる。
正垣会長の考え方では、味がばらつく理由は、厨房作業の中に「個人の能力で差が出る工程」が入り込んでいるからだ。
包丁の使い方。
火加減。
ゆで時間。
盛りつけの感覚。
ベテランならできる。
新人だと難しい。
こういう工程が多いほど、店ごとの味はぶれる。
では、全店舗に能力の高いベテランを置けばいいのか。
それは理想だ。
だが、コストが跳ね上がる。
人も足りない。
シフトも難しくなる。
つまり、根性論ではチェーン経営は安定しない。
そこでサイゼリヤは、味に差が出る工程を店から外した。
野菜も肉も、あらかじめ工場で切る。
加工する。
下準備を済ませる。
乾麺のスパゲティを店舗でゆでることもしない。
お店では、盛りつけて加熱するだけで済むようにする。
だから厨房には包丁がない。
この話、地味にすごい。
飲食店なのに、厨房から包丁を消す。
料理人の腕前が出る場所を、できるだけ消す。
普通なら「味気ない」と感じるかもしれない。
でも、チェーン店としてはかなり合理的だ。
誰が作っても同じ味。
どの店舗でも同じ安心感。
これこそ、サイゼリヤの本体なのだと思う。
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違和感になぜ気づけないのか
私たちはつい、料理には「職人の腕」が必要だと思ってしまう。
もちろん、高級店ならそれでいい。
火入れ。
包丁さばき。
盛りつけ。
その人にしか出せない味。
そういう世界は確かにある。
でも、サイゼリヤが目指しているのはそこではない。
サイゼリヤが守っているのは、
「いつ行っても、だいたい同じ味で、安く食べられること」
だ。
ここを間違えると、話がズレる。
「もっと手作り感があった方がいい」
「店でちゃんと調理した方がおいしそう」
「揚げ物もあった方が楽しそう」
そう思う気持ちは分かる。
でも、それを全部やると、現場が複雑になる。
複雑になると、味がばらつく。
時間がかかる。
人件費が増える。
価格に跳ね返る。
そして、サイゼリヤらしさが消える。
たとえば、人気メニューのミラノ風ドリア。
あれも、誰が焼いても同じように仕上がるように設計されている。
コンベヤー式のオーブンに入れる。
入れてから出てくるまでの時間は同じ。
新人が入れても、ベテランが入れても、焼き時間は機械が決める。
ここが理系っぽい。
「うまい人に任せる」ではない。
「誰がやっても同じになる仕組みにする」。
これがサイゼリヤの強さだ。
人間関係でも似たことがある。
「できる人が頑張ればいい」
「気が利く人が回せばいい」
「優しい人が我慢すればいい」
こういう場は、最初は回る。
でも、長くは続かない。
なぜなら、特定の人の能力や我慢に依存しているからだ。
サイゼリヤは、それをやらない。
人の頑張りではなく、仕組みで安定させる。
ここに学ぶところがある。
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違和感は少しずつズレていく
揚げ物を増やす。
店で切る。
店でゆでる。
店で細かく調理する。
一つ一つは、そこまで悪い話に見えない。
でも、それが積み重なると、現場は一気に重くなる。
キッチン担当には専門性が必要になる。
フロア担当とは分ける必要が出てくる。
ベテランがいない時間帯は不安定になる。
店長はシフトを組むのが難しくなる。
人が足りない。
余分に人を入れる。
人件費が上がる。
その結果、価格も上がる。
サイゼリヤは、この連鎖を嫌う。
だからキッチン作業を徹底的に定型化する。
フロア担当でもキッチン作業ができるようにする。
キッチンとフロアを完全に分けない。
つまり、多能工にする。
これができるのは、厨房作業がシンプルだからだ。
誰でもできるようにしたから、人を柔軟に動かせる。
人を柔軟に動かせるから、必要以上にバイトを抱えなくていい。
シフトが組みやすい。
コストも下がる。
そして、その分だけ価格を抑えられる。
これは、ただの効率化ではない。
「人に頼りすぎない優しさ」でもある。
もちろん、現場は大変だ。
飲食店の仕事が楽だと言うつもりはない。
でも、作業が複雑で、ベテランにしかできない工程だらけの店より、仕組みで簡単にしている店の方が、少なくとも運営は安定する。
ここで大事なのは、
「頑張ればできる」を減らすことだ。
頑張ればできる。
慣れればできる。
ベテランならできる。
この言葉は便利だが、危ない。
人間関係でも仕事でも、これが多い場所はだいたい誰かの負担で回っている。
サイゼリヤは、それを工程から消している。
だから安い。
だから速い。
だから、どこで食べてもだいたい同じ味になる。
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違和感とどう向き合うか
サイゼリヤから学べるのは、
「やらないことを決める力」
だ。
揚げ物をやらない。
店で包丁を使わない。
乾麺を店舗でゆでない。
味がぶれる工程を店に残さない。
キッチン専任に頼りすぎない。
これらは全部、引き算だ。
でも、その引き算があるから、あの安さと安定感がある。
私たちの生活にも、同じことが言える。
何でも引き受ける。
全部自分でやる。
相手に合わせる。
頼まれたら断れない。
気合いで乗り切る。
これを続けると、自分の中の厨房が地獄になる。
心のフライヤーはベトベト。
シンクには洗い物。
床には謎の粉。
閉店作業は永遠に終わらない。
だから、仕組みにした方がいい。
夜10時以降は重い相談に返信しない。
気が乗らない誘いには即答しない。
疲れている日は、無理に明るくしない。
頼まれごとは「一回確認する」と返す。
苦手な人とは、会う頻度を決める。
これは冷たいことではない。
自分の味をばらつかせないための工夫だ。
人間にも品質管理がいる。
毎日機嫌が違いすぎる。
無理して引き受けて、あとで不機嫌になる。
限界まで我慢して、急に爆発する。
それなら最初から、工程を減らした方がいい。
「これはやらない」
そう決める方が、結果的に人に優しくできる。
サイゼリヤは、料理の味を安定させるために、個人の腕に頼りすぎない。
私たちも、自分の心を安定させるために、気合いと我慢に頼りすぎない方がいい。
今日からできる小さな一歩は一つ。
生活の中で、
「これは自分の厨房に入れない」
と決めること。
一つでいい。
全部変えなくていい。
揚げ物をやめるくらいの気持ちで、ひとつ減らす。
それだけで、少し楽になる。
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「サイゼリヤに揚げ物がない違和感|やらない経営の心理」|まとめ
サイゼリヤに揚げ物が少ない理由は、単にメニューの好みではない。
揚げ物を出すには、フライヤーが必要になる。
油の管理がいる。
掃除が増える。
においも出る。
人件費もかかる。
それは、安さと効率を削る。
さらに、サイゼリヤは味のばらつきを嫌う。
だから、差が出る工程を工場に集める。
野菜も肉も下準備する。
乾麺を店舗でゆでない。
店では盛りつけて加熱するだけに近づける。
厨房には包丁を置かない。
ミラノ風ドリアも、コンベヤー式のオーブンで誰が焼いても同じ時間になる。
つまり、個人の能力に頼らず、仕組みで味を安定させている。
その結果、フロア担当もキッチン作業ができる。
シフトが組みやすい。
余計な人員を抱えなくていい。
コストを下げられる。
だから、安く食べられる。
サイゼリヤの強さは、増やすことではない。
減らすことにある。
やらないことを決める。
人の腕に頼りすぎない。
仕組みで安定させる。
この考え方は、人間関係にも使える。
全部やらなくていい。
全部背負わなくていい。
気合いで回さなくていい。
大事なものを守るために、やらないことを決める。
それは手抜きではない。
自分を安定させるための設計だ。
今日、ひとつだけ減らしてみる。
それだけで、心の厨房は少し片づく。
ミラノ風ドリアほど完璧じゃなくてもいい。
焦げつかずに生きられたら、まずは十分だ。


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