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『三人孫市』(谷津矢車・著)レビュー|孫市が三人なら歴史はどう動く?

小説・文学

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雑賀孫市という名前は有名なのに、史実としての輪郭が驚くほど曖昧です。その“空白”に、谷津矢車さんが「孫市を名乗る者は三人いた」という大胆な仮説を差し込んだと知って、私は素直に惹かれました。読み始めは、雑賀という土地の特異さと鉄砲の匂いが立ち上がってきて、ページが勝手に進む感覚がありました。一方で、場面の掘り下げ方に波があり、熱量に引っ張られながらも「ここ、もう少し見せてほしい」と心が引っかかる瞬間があったのも正直なところです。

【書誌情報】

タイトル中公文庫 三人孫市
著者谷津矢車【著】
出版社中央公論新社
発売日2019/08
ジャンル歴史・時代小説
ISBN9784122067738
価格¥880
出版社の内容紹介

付言しておきたいのは、信長の最大のライバルは、……やはり大坂本願寺であるということだ。そして、その本願寺の軍事力を支えたのが雑賀衆であり、その頭目が「雑賀孫市」だった。(解説/和田裕弘。中公新書『織田信長の家臣団』『信長公記』著者)ときは戦国、織田・浅井・三好ら大大名がしのぎを削るただ中に、紀州・雑賀庄はあった。彼らに転機をもたらしたのは、八咫鴉を祀る夜に蹌踉と現れたひとりの老人。刀月斎を名のる男は、頭領〈雑賀孫市〉を父にもつ三兄弟それぞれに、奇妙な形をした鉄炮を与えたのであった……。病身を抱えながら鉄炮兵法を編み出す長男・義方、豪放磊落にして武威赫々たる次男・重秀、入神の域に達した狙撃の腕を持ちながら心を閉ざす三男・重朝。兄弟で〈雑賀孫市〉を襲名した彼らは、異なる道を歩み、異なる志を秘めながら戦乱の世を駆け抜ける!いま最も勢いに乗る歴史作家・谷津矢車が放つ硝煙たなびく合戦絵巻!!

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本の概要(事実の説明)

本作は戦国時代を舞台にした歴史小説で、雑賀衆と鉄砲、そして阿弥陀信仰を軸に物語が進みます。テーマは、名を継ぐことの重さと、共同体(雑賀)を守るための選択の痛みだと感じました。中心にいるのは鈴木家の三兄弟で、それぞれが「孫市」という異名を背負えるだけの役割を担います。軍略の長男、剛勇の次男、狙撃の三男。織田と本願寺の狭間で雑賀が揺れる中、彼らは同じ陣に並ぶのではなく、やがて敵味方として銃口を向け合う関係へと転じていきます。史実の曖昧さを“余白”として楽しみたい人、アクション寄りの戦国エンタメが好きな人に向く一冊だと思いました。

印象に残った部分・面白かった点

まず、鉄砲の描写に「遊び心」があるのが印象的でした。神がかり的な射撃や、動きの速い戦闘描写は、史実考証の堅さよりも“燃える格好良さ”に振り切っていて、映像を見ているような勢いがあります。雑賀衆が織田信長を苦しめる精鋭として立ち上がる場面は、読んでいて胸が熱くなりました。その反面、恋物語のような気配を帯びる人物(巫女/娘の存在)が、早い段階で薄れていくように感じられ、三兄弟の愛憎や確執の芯が掴みきれないまま戦が進む印象も残りました。終盤に向けての“結末の置き方”も好みが分かれそうで、余韻を残す終わりを期待すると、少しきっちり閉じた感じが強いのかもしれません。

本をどう解釈したか

この作品が投げかける問いは、「名前(看板)を継ぐとはどういうことか」だと感じました。孫市という名は、個人の栄光ではなく、雑賀という共同体の誇りや恐れそのものでもあります。三人に分割された孫市像は、人が一つの名に求める“万能さ”の裏返しであり、軍略・剛勇・狙撃という要素が揃って初めて伝説が成立する、という皮肉にも見えました。そして、三兄弟が同じ理想に向かって一致団結するのではなく、信仰や土地、誇りの守り方の違いから分裂していくのが、戦国の残酷さを強く際立たせます。作者の視点は、英雄を持ち上げるというより、伝説の下で人が壊れていく様子を冷静に見つめているように思えました。

読後に考えたこと・自分への影響

読み終えて残ったのは、伝説の“かっこよさ”と、その代償の“わびしさ”が同居する感覚でした。鉄砲の名手としての痛快さに引っ張られながらも、同じ家の兄弟が銃を向け合う展開は、気持ちよくは読めません。むしろ、雑賀という場所を守るために個人が削れていくのが、じわじわ効いてきます。史実らしさにこだわると「そこは無理があるのでは」と思う場面が出てくるのも分かる一方で、史実の空白に“物語の答え”を与える勇気が、この作品の魅力でもあると感じました。

この本が合う人・おすすめの読書シーン

少し遅めの夜、部屋が静かになってから読むのが合います。雑賀の湿った空気や火薬の匂いが、暗い時間ほど濃く感じられて、戦の気配が皮膚の近くまで寄ってくるからです。ページをめくる手が速くなる場面と、ふと立ち止まって「この兄弟はどこで分かれてしまったのだろう」と考えたくなる場面が交互に来るので、時間に追われない夜の読書が一番しっくりくると思います。

『三人孫市』(谷津矢車・著)レビューまとめ

史実の曖昧さを逆手に取り、「孫市が三人いた」という発想で伝説を組み直した戦国エンタメでした。熱い鉄砲描写の裏に、兄弟がほどけていく寂しさが残ります。読後、孫市という名の重さだけが静かに響きました。

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