
『教室に並んだ背表紙』は、中学校の図書室というごく小さな空間を舞台にしながら、思春期の心を強烈に揺さぶる連作短編集だと感じました。キラキラした青春とは少し距離のある、教室に居心地の悪さを抱えた女の子たちの物語。その背中に、そっとブックカバーのように物語がかかっていく感覚が、とても印象的でした。 舞台は、どこにでもありそうな中学校の図書室と教室です。友情や恋愛、部活でまぶしく輝くタイプの主人公ではなく、どこか輪に入りきれない子たちが次々と語り手になります。いじめ、親子関係へのモヤモヤ、自分だけが浮いているような劣等感。大人になった今読んでも、胸の奥の古い傷をそっとなぞられるようで、ドキッとする場面が多かったです。 そんな彼女たちに寄り添うのが、本と学校司書の「しおり先生」です。大げさな説教や奇跡的な救済ではなく、ほんの一冊の本、一言の言葉がトリガーになって、少女たちの世界が少しだけ揺れ動かされていく。そのささやかな変化の積み重ねこそが、この短編集のいちばんの魅力だと感じました。
【書誌情報】
| タイトル | 集英社文庫 教室に並んだ背表紙 |
|---|---|
| 著者 | 相沢沙呼【著】 |
| 出版社 | 集英社 |
| 発売日 | 2023/07 |
| ジャンル | 文芸(一般文芸) |
| ISBN | 9784087445374 |
| 価格 | ¥748 |
図書委員のあおいは、苦手な同級生を図書室で見かけた。本に興味がないはずの彼女が、毎日来るのはなぜだろうと疑問を抱いて(その背に指を伸ばして)。将来に希望が持てない、図書委員の凜奈。ある日、本に挟まった古い手紙を見つける。そこには「未来のわたしは、夢を叶えることができていますか?」と書かれていて(しおりを滲ませて、めくる先)。中学校の図書室を舞台に、ままならない思春期の友人関係や未来への漠然とした不安、揺れる心模様を繊細に描く、全6編の連作短編集。
本の概要(事実の説明)
本作は、中学校の図書室と教室を舞台にした、六編からなる連作短編集です。図書委員のあおいが、苦手意識のある同級生を図書室で見かけるところから始まり、本が嫌いなあかね、漫画しか読まない子、いじめのターゲットになってしまった子など、それぞれに生きづらさを抱えた少女たちが、章ごとに語り手として登場します。 共通して登場するのが、学校司書の「しおり先生」です。しおり先生は、いかにも“完璧な大人”として振る舞うわけではありません。少し抜けて見えるところもあり、現実にいたら「え、それで大丈夫なの?」と思ってしまう対応もあります。それでも、彼女が差し出す一冊の本や一言が、少女たちの心の中に残り、時間差で効いてくるところに、物語の優しさとリアルさがあるように思いました。 全体としては、派手な事件や大きな起伏があるタイプのストーリーではありません。小さな行き違いや、言葉にならない違和感、教室の空気の重さといった、目に見えない「痛み」が静かに描かれます。その一方で、連作ならではの構成の妙や、叙述トリック的な仕掛けもあり、読了したときに一冊のパズルがカチッと組み上がるような満足感がありました。 中学生から大人まで、幅広くおすすめできる一冊です。特に、教室に馴染めなかった記憶がある方や、図書室に避難場所を見つけていたような方には、かなり刺さる物語だと感じました。
印象に残った部分・面白かった点
印象に残ったのは、どの主人公も「大きな欠点がある悪者」ではなく、少し不器用で、少し臆病で、でも誰よりも感受性の高い普通の中学生として描かれていることです。いじめの被害に遭う三崎さんのエピソードでは、お弁当を捨てられたり、一人でトイレでご飯を食べたりする描写があり、読んでいて胸が締めつけられました。ただ、その痛みが必要以上に悲惨に盛られているわけではなく、「こういうこと、現実にもあるよね」と思わされるリアルさがありました。 また、本嫌いのあかねが偶然、クラスメイトの捨てた読書感想文の下書きを見つけてしまう話も、強く心に残りました。他人の言葉を借りてしまいたくなる誘惑と、それをきっかけに自分の言葉に向き合っていくプロセスが、とても丁寧に描かれています。「物語から持ち帰れることは、たくさんある」というしおり先生のスタンスが、このエピソードで一気に立ち上がってくるように感じました。 そして、タイトルにもなっている「教室に並んだ背表紙」というイメージが秀逸です。教室に並ぶ生徒たちの背中を、本棚に並ぶ本の背表紙になぞらえる発想は、シンプルだけれど核心を突いていると感じました。誰もがそれぞれ違う物語を抱えながら、ただ「外側」だけを見られている息苦しさ。背表紙だけではわからない中身に、そっと手を伸ばしてみることの大切さ。この比喩が全編を通してじわじわ効いてくるのが、相沢沙呼さんらしい巧みさだと思います。
本をどう解釈したか
私なりにこの作品を読んで強く感じたのは、「物語は現実から逃げる場所ではなく、現実と向き合うための練習場なのだ」というメッセージです。作中でも、物語をご都合主義だと切り捨てる視線が出てきますが、そのたびに「現実だって、自分とは違う他人の物語の集まりだよね」という視点に引き戻されていくように思いました。 教室では、名前と外見という「背表紙」しか見えていないことが多いです。あの子は明るいから悩みなんてない、あの子は陰キャだから関わらなくていい、そんな雑なレッテルで人を判断してしまうことは、誰にでもあると思います。でも、物語の登場人物たちの背景を知っていくように、目の前にいる他人にも、それぞれの物語と事情がある。そこに想像力を持ち込むための訓練が読書なのだと、本書は静かに教えてくれているように感じました。 しおり先生の在り方も、興味深いです。一見ちょっと頼りなく、完璧なヒーローではありません。それでも、彼女は安易に「こうしなさい」と答えを押し付けることはしません。代わりに本を手渡し、「物語の中で考えてみて」と背中を押す。これは、子どもたちを強烈にコントロールしようとする大人とは真逆のあり方であり、同時に、読者である私たちにも「自分の頭で考える権利と責任」があることを思い出させてくれる姿勢だと感じました。 「教室に並んだ背表紙」というタイトルには、もう一つの含みもあるように思います。それは、背表紙が並ぶだけで終わらせず、誰かが手を伸ばしてページを開く瞬間があるという希望です。クラスメイトのことも、自分自身のことも、「わからないから怖い」で止めるのではなく、物語を通じて少しずつ理解していく。そんな想像力の循環を、この作品は丁寧に描いているように思えました。
読後に考えたこと・自分への影響
読み終えてまず感じたのは、「中学生の自分に読ませてあげたかったな」という、少し切ない気持ちでした。教室に居心地の悪さを感じていた頃の自分が、この本の図書室にそっと逃げ込んでいたら、もう少し楽に息ができたかもしれない、とふと考えてしまいました。 同時に、「学校で過ごした時間ですべてが決まってしまうなんてこと、絶対にない」というメッセージにも、強く励まされました。中学や高校の人間関係は、当時は世界のすべてに見えるほど強烈です。でも、大人になって振り返ると、それは長い人生の中のほんの一部に過ぎません。作中の少女たちは、今まさに“その渦中”にいて、視野が狭くなってしまっていますが、そこに物語としおり先生の存在が入り込み、ほんの少しだけ視点を広げてくれる。そのわずかなズレが、とても尊いものだと感じました。 もう一つの気づきは、「本も人も、開いてみなければわからない」という当たり前の事実です。苦手だと思っていた同級生の意外な一面、自分には関係ないと思っていたジャンルの本からもらう言葉。背表紙だけを見て判断してしまう癖は、いまの自分の日常にも残っているなと反省しました。知らない誰かや、自分と違う価値観に触れたとき、「わからないから拒絶する」のではなく、一歩だけ踏みとどまって想像してみる。その小さな姿勢を、改めて意識したいと思います。 この本は、読書好きな人にはもちろん、「本なんてそんなに好きじゃない」という人にとっても、自分と他人との距離をそっと整えてくれる一冊だと感じました。物語の中で傷つく少女たちに自分を重ねながら、同時に「今の自分は、あの頃より少しだけ優しくなれているかもしれない」と確認する、そんな読み方もできる作品だと思います。
この本が合う人・おすすめの読書シーン
この本は、静かな時間にじっくり向き合って読みたい一冊です。例えば、予定のない休日の午後、家族の気配が少し遠くに感じられるリビングや、自分の部屋のベッドの上。窓から柔らかい光が入ってくるような時間帯に読み始めると、作中の図書室の空気と不思議と共鳴して、物語にすっと入り込めるように思いました。 また、「今日はちょっと人間関係に疲れたな」と感じる日の夜にも、よく合う作品だと感じます。仕事や家事を終えて、スマホから少し距離を置き、温かい飲み物を片手にページを開く。教室のざわめきや、図書室の静けさ、少女たちの戸惑いが、少し時間差で自分の記憶と混ざり合っていきます。読後には、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んでいるかもしれません。 そして、自分と向き合いたいけれど、いきなり自己啓発書を読む気分ではない夜にも、この本はぴったりだと感じました。重すぎない長さの短編が六つなので、一編ずつゆっくり読むこともできますし、気持ちが乗れば一気読みもできます。どの読み方を選んでも、「物語には、現実と向き合うための静かな力がある」という事実を、自然と体感できるはずです。
『教室に並んだ背表紙』(相沢沙呼・著)レビューまとめ
教室に居場所を見つけられない少女たちと、本と図書室、そして“しおり先生”。『教室に並んだ背表紙』は、思春期の息苦しさと、物語がくれるささやかな救いを、静かに、しかし確かに描き出した連作短編集だと感じました。
中学時代に悩んでいた自分にも、いま少し疲れている自分にも、「大丈夫、教室だけが世界のすべてじゃないよ」とそっと告げてくれる一冊です。本と人、その両方の背表紙に、もう一度やさしく手を伸ばしてみたくなる物語でした。


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