
『ゴールデンスランバー』は、読み進めるほど胸の奥がざわつく物語でした。主人公・青柳雅春が突然「首相暗殺犯」に仕立て上げられ、仙台の街で逃亡を余儀なくされる――この状況は、フィクションとは思えないほどの圧迫感があります。追われる恐怖と、助けを求められない孤独。その両方が息を詰まらせるように迫ってきました。 一方で、物語の随所に差し込まれる“人の善意”がほのかな光として作用し、逃亡劇の緊張感の中に温度を与えています。スリラーの刺激を期待して読み始めましたが、終盤に向かうにつれ、人間ドラマとしての豊かさがより強く立ち上がり、心に長い余韻を残しました。 読後には、ビートルズの「Golden Slumbers」の旋律が頭をよぎり、青柳の歩いた軌跡をそっとなぞりたくなるような気持ちが残りました。
【書誌情報】
| タイトル | 新潮文庫 ゴールデンスランバー(新潮文庫) |
|---|---|
| 著者 | 伊坂幸太郎【著】 |
| 出版社 | 新潮社 |
| 発売日 | 2021/09 |
| ジャンル | ミステリー |
| ISBN | 9784101250267 |
| 価格 | ¥1,155 |
衆人環視の中、首相が爆殺された。そして犯人は俺だと報道されている。なぜだ? 何が起こっているんだ? 俺はやっていない――。首相暗殺の濡れ衣をきせられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。暴力も辞さぬ追手集団からの、孤独な必死の逃走。行く手に見え隠れする謎の人物達。運命の鍵を握る古い記憶の断片とビートルズのメロディ。スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編。(解説・木村俊介)
本の概要(事実の説明)
本作は、首相暗殺をきっかけに一般市民の青柳雅春が巨大な陰謀に巻き込まれていく物語です。伊坂幸太郎らしく、序盤に散りばめられた何気ない会話や回想が後半で次々と意味を持ちはじめ、読者の期待を裏切らない伏線回収の妙が光ります。 テレビや新聞、警察、最先端の監視技術――社会の仕組みそのものが青柳を「犯人」に仕立て上げる構造は、架空の話でありながら実際の世界に重なるリアリティがあります。また、青柳は特別な能力を持つ人物ではなく、ごく普通の青年として描かれます。だからこそ、逃亡の過程で彼を救う“信頼”の重みが際立っていくのだと感じました。 600ページを超える大作ですが、人物のつながりの強度とテンポの良い構成によって、長さを感じさせない読み心地でした。
印象に残った部分・面白かった点
本作で最も心に残ったのは、青柳が周囲の人々に助けられる場面でした。逃げるだけで精一杯の青柳に対し、昔の知り合いや偶然出会った人が自然に手を差し伸べる。その行動の背景には、青柳がこれまでの人生で積み重ねてきた「誠実さ」が確かに存在しているように感じました。 原作の父親の場面も印象深いものがあります。直接的な英雄的台詞が描かれるわけではありませんが、青柳の家族が「彼を信じている」という静かな確信を持っている描写は、敵に包囲された状況のなかで強烈な支えとして作用していました。派手な言葉ではなく、日常の延長にある信頼の形が胸に残ります。 また、「大変よくできました」というさりげないモチーフが回収される瞬間は、緊張感の中に小さな温かさが灯るようで、長い逃亡劇を静かに包み込む余韻がありました。 ただし、逃亡の過程で失われた命や、再び戻らない関係性など、心に重く残る要素もあります。全てがすっきり解決する物語ではなく、読者に“余白”を残す結末が特徴的でした。
本をどう解釈したか
本作は、巨大な権力の前で個人がいかに脆い存在になりうるかを描くと同時に、“それでも世界には善意が残っている”という希望を示しているように思えました。マスコミによる情報操作や世論の誘導といったテーマは、現代にもつながる重さがあります。 しかし作者は、ただ絶望を描くだけではありません。青柳が逃亡を続けられた理由のひとつに「習慣」があるという指摘はとても象徴的です。日々の小さな行動が、人との信頼関係を生み、それが“非常時の命綱”になる――そんなメッセージが物語の深部に流れているように感じました。 青柳自身が陰謀を暴くわけではなく、人々の行動によって彼が“生き延びる未来”を得るという構造も、伊坂作品らしいやさしさを感じさせました。
読後に考えたこと・自分への影響
読了後に強く残ったのは、「誠実に生きることは、誰かを救うだけでなく、自分自身を救うことにもつながる」という気づきでした。青柳が特別強いわけでも賢いわけでもないのに助けられていくのは、普段のふるまいが周囲の人の心に残っていたからこそだと感じます。 また、生き延びるために“逃げる”という選択を否定しない姿勢も印象的でした。巨大な力に抗うよりも、生きることを選ぶ。その選択は弱さではなく、確かな意志なのだと背中を押されるようでした。
この本が合う人・おすすめの読書シーン
この作品は夜にじっくり向き合うのが最適だと思いました。静けさの中で読むと、青柳の孤独や緊張感がより鮮明に胸に迫ります。自分の気持ちを整えたいときにページを開くと、逃亡の中で青柳が拾っていった“人の温かさ”が、こちらの心も落ち着かせてくれるように感じました。
『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎・著)レビューまとめ
『ゴールデンスランバー』は、スリリングな逃亡劇の裏に、人の誠実さや信頼の力を丁寧に描いた作品でした。巨大な陰謀の影に震えながらも、青柳を支える小さな善意が心に残り、読み終えたあと日常のふるまいを少し見つめ直したくなる一冊でした。


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