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『彼女のしあわせ』(朝比奈あすか・著)レビュー|「ないもの」より「ここにある幸せ」を見直す物語

小説・文学

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三姉妹とその母、それぞれの“正しさ”と“言えない本音”が丁寧にほどけていく連作短編集です。可愛らしい装丁に惹かれて開くと、そこにあるのは生活の重み、世代間ギャップ、そして「ないものねだり」がもたらす視界の曇りでした。 読み進めるほど、人物たちの選択は誰かの軽はずみなわがままではなく、恐れや孤独や不器用さの結果なのだと分かってきます。私は「幸せ」を外に探して疲れてしまう気分を抱えたままページをめくり、物語の終盤でふっと肩の力が抜けた瞬間がありました。 完璧な幸福はどこにもない。けれど、今ここにある小さな満ち足りなさを取りこぼさない視線なら持てる——そう思わせてくれるやさしさが、この本の体温でした。

【書誌情報】

タイトル彼女のしあわせ
著者朝比奈あすか
出版社光文社
発売日2013/09
ジャンル文芸(一般文芸)
ISBN9784334765668
価格¥660
出版社の内容紹介

長女・征子(せいこ)は百貨店の幹部社員。独りで生きると決めてマンションを購入した。次女・月子(つきこ)は専業主婦。幼い娘を放り出しブログの世界に逃避している。三女・凪子(なぎこ)は姉たちにも告げていない体の秘密を抱えたまま結婚した。母・佐喜子(さきこ)は夫と姑への我慢が限界に達し、ついに家出をする。3人姉妹と母親、それぞれの傷を抱えて生きる4人の女性の哀しみを包み込む物語。

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本の概要(事実の説明)

物語は、独身の長女・征子、子育てとネットに揺れる次女・月子、身体的な秘密を抱える新婚の三女・凪子、そして姑と夫にすり減らされ家出までしてしまう母・佐喜子の四視点で展開します。章ごとに語り手が交替し、同じ出来事が別の角度から照らされることで、立場によって輪郭の変わる“しあわせ”が浮かび上がります。 派手な事件は起きません。代わりに、台所の湯気、SNSの通知、義実家の空気、病院の廊下といった日常の場面が、人物たちの心象を鏡のように映します。世代による価値観の差——「仕事か家庭か」「専業か共働きか」——が衝突の火種になりつつも、各章の終わりには必ず微かな回復のサインが置かれていて、読後に残るのは静かな余韻です。 家族小説、女性の生き方、結婚や子育てのリアルに関心がある読者、そして“今の自分のままでいいのか”と立ち止まっている人に勧めたい一冊です。

印象に残った部分・面白かった点

まず心を射抜かれたのは、凪子が「本当に欲しいものが、人生にとって“なくてはならないもの”と限らない」と悟る場面でした。欠けを抱えたまま誰かに受け止められる経験は、自己否定の言葉を少しずつ脱がしていきます。彼が「俺の大切な人をおとしめる言葉を使うな」と制する台詞には、甘さではない護りの強さがありました。 次に刺さったのは、月子の章。小さな子を前にしてもスマホに逃げ込む自分を責めつつ、抜け出せない焦燥。ネットの“承認”に一瞬救われて、すぐ空洞が広がる感覚は、現代を生きる多くの親が身に覚えのあるものだと思います。 そして征子。自立を選んだ彼女が“自由”の裏側に潜む孤独を正面から引き受ける姿は、強がりではなく成熟でした。母・佐喜子の家出章では、昭和的家制度の影が濃く、胸が詰まるのに、ラストでほのかな光に触れます。誰も完全には救われないけれど、誰も完全には見捨てられない——そのバランス感覚が見事です。

本をどう解釈したか

この小説の“しあわせ”は、獲得目標ではなく関係の中で更新される状態として描かれている、と感じました。だからこそ「手に入らないもの」を前提にしたとき、残るのは奪い合いではなく分かち合いの視線です。 また、四者の語りは「想像力」を巡るレッスンでもあります。専業/共働き、産める/産めない、独身/既婚といったラベルが、どれだけ人の体温を取りこぼすか。相手の“痛みの位置”を想像することで初めて届く言葉がある。作中の台詞や沈黙は、その訓練になっていました。 母の世代と娘の世代の間に走る断層も、単純な加害/被害では括れません。時代の要請に従って生き延びた結果としての不器用さが連鎖している——だから物語は、断罪ではなく連鎖の途中で舵を切るための温度を残すのだと思いました。

読後に考えたこと・自分への影響

私は読み終えて、「ないもの」に視線を奪われる癖に気づきました。未来の条件が揃ったら幸せ——ではなく、いま机の上に置かれている湯呑みや、となりの人の呼吸のリズムのなかに、確かな“あるもの”がある。 もう一つの学びは、言葉の選び方です。自分をおとしめる言葉は、近くの人も同時に傷つける。反射で出るセルフネガティブを少し言い換えるだけで、関係の空気が変わると感じました。 そして、どの生き方にも“代償”があるのだと受け入れた先に、身軽さは生まれるのだと思います。完璧を諦めることは、敗北ではなく選択でした。

この本が合う人・おすすめの読書シーン

静かな休日の午前、カップに湯気の立つカフェの片隅で。人の会話が遠くに流れる環境だと、人物たちの独白が素直に入ってきます。 家事の合間に一章ずつ、という読み方も向いています。章末の余韻が日常に滲むので、立ち止まって自分の暮らしを振り返る時間が自然に生まれました。

『彼女のしあわせ』(朝比奈あすか・著)レビューまとめ

「手に入らない」を前提にしながら、「いま、ここにある」を取りこぼさない——そんな視線を手渡してくれる家族小説でした。立場も選択も違う四人が、少しずつ自分の言葉で“しあわせ”を言い換えていく過程が静かに胸に残ります。

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