
新しくできたマンションのそばに、小さな公園があります。ペンキが剥げ、涙目にも見えるカバのアニマルライド——通称“カバヒコ”。「治したいところと同じ場所を撫でると回復する」という噂を、私は半信半疑で追いながら頁をめくりました。 読み進めるほどに分かったのは、回復するのは身体だけではないということです。耳、口、足、目、そして頭——章題に並ぶ部位は、実のところ人間関係のこじれや、自分への不信、未来への不安の比喩のように思えました。 ひとつひとつの物語には、痛みを真っ直ぐに見ないまま固まってしまった心が、そっと温め直される瞬間があります。伝説は魔法ではありません。けれど、誰かの言葉と行為が連鎖して、現実を少しだけ動かす力になる——その過程に、私は何度も救われる思いがしました。
【書誌情報】
| タイトル | リカバリー・カバヒコ |
|---|---|
| 著者 | 青山美智子【著】 |
| 出版社 | 光文社 |
| 発売日 | 2023/09 |
| ジャンル | 文芸(一般文芸) |
| ISBN | 9784334100520 |
| 価格 | ¥1,760 |
新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの公園にある古びたカバの遊具・カバヒコには、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説が。アドヴァンス・ヒルの住人は、悩みをカバヒコに打ち明ける。成績不振の高校生、ママ友と馴染めない元アパレル店員、駅伝が嫌な小学生、ストレスから休職中の女性、母との関係がこじれたままの雑誌編集長。みんなの痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。
本の概要(事実の説明)
本作は、日の出公園にある“リカバリー・カバヒコ”をめぐる五編の連作短編集です。悩みを抱えた人々——ママ友関係に疲れた母、走れない自分をごまかしてしまった少年、体調の異変に怯える女性、職場でつまずいた若者、老いと親子関係に向き合う男——が、それぞれの「治したい場所」を撫でに来ます。 物語の中心には、向かいの「サンライズクリーニング」のおばあさんと、その家族の歴史が静かに流れています。カバヒコの言い伝えを伝えるのは彼女ですが、奇跡を起こすのはあくまで当人の気づきと一歩。各話は独立しつつ、登場人物同士の“縁”が見えない糸でつながれ、終章でやわらかく収束します。 刺激的な展開はありません。その代わり、日々の呼吸に近い温度で、読者の心拍を整える一冊だと感じました。肩の力を抜きたい夜や、静かな休日に向く物語です。
印象に残った部分・面白かった点
忘れられないのは、耳に不安を抱える女性へ「不安は想像力の証」という言葉が差し出される場面です。弱さの裏にある力を肯定する視線に、私は思わず頷きました。 また、足を理由に逃げてしまった少年が、整体の先生に「痛みに意識を奪われすぎないで、楽しいほうに意識を移す練習を」と促されるくだりも沁みます。立ち向かうだけが正解ではなく、“そらす”ことで回復が始まることもある。心身のリハビリを生活の単位で捉え直す視点がやさしい。 そして終盤、「目」の章。クリーニング店のおばあさんと息子の物語は、家族が長い時間をかけて編み直す関係の尊さを描きます。配偶者の静かな気づかいに胸が熱くなり、私はページの前で何度も呼吸を整えました。大仰な和解ではなく、日常の所作に滲む赦し。それが何よりの“リカバリー”に思えました。
本をどう解釈したか
私は“伝説”を、他者と自分のあいだに生まれる解釈の装置として読みました。効く・効かないの二択ではなく、「効くかもしれない」と思える余白が、心に小さな行動を許可する。噂を媒介に、主体は自分に戻ってくる設計です。 もう一つは痛みの再定義です。作中では、回復しても“元通り”には戻りません。経験と記憶をまとった新しい自分になる——この考えは、失敗や老い、関係のほつれに対する優しい視座を与えます。 連作を束ねるのは、“見たいように見てしまう”私たちの認知。カバヒコは鏡のように機能し、偏った見方を少しだけ調整してくれる存在でした。魔法の代わりに、解像度を上げる。だから読後に残るのは涙よりも、静かな前向きさです。
読後に考えたこと・自分への影響
読み終えて私が実践しようと思ったのは三つ。 一つ目は、不安に名前をつけること。曖昧な痛みは、名づけた瞬間に扱える課題へ変わります。 二つ目は、意識を移す訓練。立ち向かえない日は、そらしてもいい。好きな音楽、短い散歩、簡単な家事——“できること”へフォーカスを移すだけで、心がほぐれるのを感じました。 三つ目は、関係のメンテナンス。派手な謝罪や演出ではなく、日常の「訪ねる」「手紙を添える」「相手のペースを待つ」。小さな所作の積み重ねが、いちばん長持ちする回復だと腑に落ちました。物語に背中を押され、私は一通のメッセージを送るところから始めています。
この本が合う人・おすすめの読書シーン
静かな休日に、日当たりのよいテーブルで。章を一編ずつ味わい、合間にお気に入りのマグをゆっくり洗う——そんなリズムが物語の呼吸とよく馴染みました。 もう一つは眠る前に。ベッドサイドで一話だけ読むと、心の筋肉がほどけていきます。明かりを落とす前にカバヒコの“どの部位を撫でたいか”を自分に問うと、翌朝の視界が少し広がるように思えました。
『リカバリー・カバヒコ』(青山美智子・著)レビューまとめ
“直す”のではなく、“新しい自分に整える”。『リカバリー・カバヒコ』は、そんな回復の姿を見せてくれる、人の優しさの連鎖譚です。カバヒコに触れる手つきのまま、私たちは今日の小さな一歩を選べます。


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